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福岡県労働委員会委員コラム
福岡県労働委員会委員のコラムを連載しています。
| 投稿日 | タイトル | 投稿委員 | ||
| 第28回New! |
令和7年11月26日 |
日本企業の経営と労働組合 | 公益委員 | 大坪 稔 |
| 令和7年11月1日 | 労働紛争を解決するには | 使用者委員 | 中村 年孝 | |
| 令和7年10月1日 | 労働組合の役割と労働委員会 | 労働者委員 | 高田 章男 | |
| 令和7年9月1日 | 命令と和解 | 第44期会長 | 上田 竹志 | |
| 令和7年8月1日 | 労働組合法の労働者って誰のこと? | 使用者委員 | 熊手 艶子 | |
| 令和7年7月1日 | 働く人の声を届けるために | 労働者委員 | 古賀 栄一 | |
| 令和7年6月4日 | 福岡県労働委員会がPR動画を作りました | 公益委員 | 渡部 有紀 | |
| 令和7年5月1日 | 労働委員会とは?:健在な労使関係を築く「羅針盤」 | 使用者委員 | 高松 雄太 | |
| 令和7年4月1日 | 組合と力を合わせて風通しの良い職場を作りましょう | 労働者委員 | 溝田 由美子 | |
| 令和7年3月1日 |
ロウキ(労働基準監督署)より、サイバンショ(裁判所)に近い? ロウイ(労働委員会)の役割って何? |
公益委員 | 千綿 俊一郎 | |
| 令和7年2月1日 | 労働委員会を知っていただきたい | 使用者委員 | 丸山 武子 | |
| 令和7年1月1日 | 新年を迎えるにあたり | 労働者委員 | 西 央人 | |
| 令和6年12月1日 | 対話の時代のお手伝い | 公益委員 | 丸谷 浩介 | |
| 令和6年11月1日 | 労使関係の構築について | 使用者委員 | 小川 浩二 | |
| 令和6年10月1日 | 快適な職場環境づくりは労使双方にとってメリット | 労働者委員 | 藤田 桂三 | |
| 令和6年9月1日 | 労働委員会ってどんなところ? | 公益委員 | 服部 博之 | |
| 令和6年8月1日 | 使用者と労働委員会 | 使用者委員 | 内場 千晶 | |
| 令和6年7月1日 | 労使紛争と労働組合の役割 | 労働者委員 | 桑原 忠志 | |
| 令和6年6月1日 | 労使関係におけるエチケット | 公益委員 | 所 浩代 | |
| 令和6年5月1日 | 和解による早期解決 | 使用者委員 | 吉村 達也 | |
| 令和6年4月1日 | 労働者の権利と労働委員会 | 労働者委員 | 金光 千春 | |
| 第7回 | 令和6年3月1日 |
使用者と労働者の利害 |
公益委員 | 大坪 稔 |
| 第6回 | 令和6年2月7日 | 括弧に入れること・括弧を外すこと |
使用者委員 |
中村 年孝 |
| 令和6年1月5日 | 労使間トラブルの円満な解決を目指して | 労働者委員 | 高田 章男 | |
| 第4回 | 令和5年12月27日 | 継続的で前向きな労使関係の構築に向けて | 第44期会長 |
上田 竹志 |
| 令和5年11月27日 | 中小企業経営者と労働問題 | 使用者委員 | 熊手 艶子 | |
| 第2回 | 令和5年10月27日 |
労働組合法は働く人たちの味方 |
労働者委員 | 溝田 由美子 |
| 令和5年3月1日 | 御挨拶 | 第43期会長 | 德永 響 | |
第28回
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「日本企業の経営と労働組合」
公益委員 大坪 稔
私は公益委員ですが、本職は九州大学経済学部で経営学を教えています。今回、私の講義の中で出てくる労働組合について少しお話をさせてください(私の講義の内容である関係上、内容に偏りがあることはご容赦ください)。 日本企業の経営を説明するうえで、労働組合という言葉を私の講義で最初に使うのは、終戦直後の「経済民主化」のなかです。これは、占領期にアメリカが実施した経済改革であり、財閥解体、農地改革、労働組合の結成促進などが実施されました。このうち、農地改革については日本企業とは直接的な関係はないため、ここでは省略させてください。残った二つのうち、財閥解体は、戦前の日本の経済活動の大部分を担っていた三井・三菱・住友・安田の四大財閥をはじめとする多数の財閥を解体し、その株式を財閥一族から一般大衆へ配分することで、まさに経済の民主化を行うものでした。一方、労働組合の結成促進については労働者が団結し、労働条件の向上を求める運動を促進させるもので、具体的には、1945年に制定された労働組合法において団結権・団体交渉権・争議権を保障することでした。 つぎに、私の講義で労働組合について説明するのは、1940年代後半から1950年代にかけての労働運動の活発化です。この労働運動はさきの経済民主化の一つであった労働組合の結成促進の結果であったのでしょうが、日本企業にとって多大な影響を与えるものでした。たとえば、新たに工場を建設する場合、通常であれば現在の企業が建設する、または子会社を設立し、そこで工場を建設するのでしょうが、この時期には現在の企業とは資本的にも人的にも異なる別会社を設立し、そこで工場を建設するようなことが行われていました。その背景にあったのは、現在の企業内で生じている労使対立が新工場あるいは新子会社にも飛び火することを経営者側が恐れてのことでした。このような別会社を設立することの是非はおいておくとして、この時期の経営者は労働組合を強く意識した経営を行わざるを得ず、企業内における労働組合の存在は極めて強いものであったことがわかります。 しかし、残念ながら私の講義で労働組合を扱うのはここまでで、その後の安定成長期やバブル前後において労働組合を取り扱うことはありません。これは、皆さんご存じのように労働組合の組織率が低下し続け、その影響力も低下してきたことが一因であることは否めません。 だからといって、現在、経営者と労働者の間で争いが存在しないわけではなく、むしろ多様な労働環境が多様な労働問題を生み出しているのも事実です。新たな問題を解決する方法について、労働者や経営者あるいは労働委員会に関わる我々の間で模索していくことが重要なのではないかと思います。 |

