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福岡県労働委員会委員コラム 第28回
第28回
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「日本企業の経営と労働組合」
公益委員 大坪 稔
私は公益委員ですが、本職は九州大学経済学部で経営学を教えています。今回、私の講義の中で出てくる労働組合について少しお話をさせてください(私の講義の内容である関係上、内容に偏りがあることはご容赦ください)。 日本企業の経営を説明するうえで、労働組合という言葉を私の講義で最初に使うのは、終戦直後の「経済民主化」のなかです。これは、占領期にアメリカが実施した経済改革であり、財閥解体、農地改革、労働組合の結成促進などが実施されました。このうち、農地改革については日本企業とは直接的な関係はないため、ここでは省略させてください。残った二つのうち、財閥解体は、戦前の日本の経済活動の大部分を担っていた三井・三菱・住友・安田の四大財閥をはじめとする多数の財閥を解体し、その株式を財閥一族から一般大衆へ配分することで、まさに経済の民主化を行うものでした。一方、労働組合の結成促進については労働者が団結し、労働条件の向上を求める運動を促進させるもので、具体的には、1945年に制定された労働組合法において団結権・団体交渉権・争議権を保障することでした。 つぎに、私の講義で労働組合について説明するのは、1940年代後半から1950年代にかけての労働運動の活発化です。この労働運動はさきの経済民主化の一つであった労働組合の結成促進の結果であったのでしょうが、日本企業にとって多大な影響を与えるものでした。たとえば、新たに工場を建設する場合、通常であれば現在の企業が建設する、または子会社を設立し、そこで工場を建設するのでしょうが、この時期には現在の企業とは資本的にも人的にも異なる別会社を設立し、そこで工場を建設するようなことが行われていました。その背景にあったのは、現在の企業内で生じている労使対立が新工場あるいは新子会社にも飛び火することを経営者側が恐れてのことでした。このような別会社を設立することの是非はおいておくとして、この時期の経営者は労働組合を強く意識した経営を行わざるを得ず、企業内における労働組合の存在は極めて強いものであったことがわかります。 しかし、残念ながら私の講義で労働組合を扱うのはここまでで、その後の安定成長期やバブル前後において労働組合を取り扱うことはありません。これは、皆さんご存じのように労働組合の組織率が低下し続け、その影響力も低下してきたことが一因であることは否めません。 だからといって、現在、経営者と労働者の間で争いが存在しないわけではなく、むしろ多様な労働環境が多様な労働問題を生み出しているのも事実です。新たな問題を解決する方法について、労働者や経営者あるいは労働委員会に関わる我々の間で模索していくことが重要なのではないかと思います。 |

