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福岡県・ニューサウスウェールズ州交流促進訪問団が 日本人捕虜集団脱走80周年記念式典等に参加しました

発表日:2024年8月7日 14時00分 印刷
担当課:
国際政策課
直通:
092-643-3214
内線:
2554
担当者:
大堤、成田
 

 本年は、本県と縁の深いオーストラリア・ニューサウスウェールズ州カウラで発生した日本人捕虜集団脱走から80周年の節目にあたります。

 カウラ市長からの招へいを受けて、8月4日(日曜日)、及び5日(月曜日)に、知事、県議会議長をはじめとする訪問団が記念式典等に参加しました。

 

1.サブロー・ナガクラ・パーク訪問(8月4日)

 サブロー・ナガクラ・パークは、九州電力の元会長である永倉三郎氏が、1978年にカウラを訪れた際に、オーストラリア人および日本人の戦死者墓地がカウラ市民から大切に維持・保存されていること感銘し、自らの資金を拠出して永倉財団を設立するとともに整備したものです。

 記念式典参加に先立ち、知事をはじめとする訪問団一行は当地を訪れ、永倉三郎氏のご子息で永倉財団の理事長である永倉成二氏から、カウラ市民の憩いの場として親しまれている同パークの設立から現在に至るまでの経緯や管理状況について説明を受けました。

 
サブロー・ナガクラ・パーク ナガクラ理事長から説明を受ける知事
サブロー・ナガクラ・パーク 永倉理事長から説明を受ける知事​

 

2.市長主催公式夕食会(8月4日)

 知事をはじめとする訪問団一行は、カウラ日本人捕虜集団脱走80周年記念式典市長主催公式夕食会に出席し、ルース・フェイガンカウラ市長や、ビル・ウェスト前カウラ市長、豪州ニューサウスウェールズ州関係者らと懇談しました。

 

ビーズリー州総督

夕食会の皆さん

ビーズリー州総督(中央)、フェイガン市長(左)と懇談する知事 

夕食会に参加された皆さん

(参考)

 カウラ日本人捕虜集団脱走事件(カウラ・ブレイクアウト)

 カウラ市には第二次大戦当時、連合軍により捕虜収容所が置かれていました。1944年(昭和19年)8月5日、日本人捕虜の集団脱走事件(カウラ・ブレイクアウト)が発生し、235名の犠牲者(豪州人の収容所衛兵4名を含む)を出しました。その後、1964年(昭和39年)に日本人戦争墓地が整備され、集団脱走事件の犠牲者や戦死者等約500名の日本人が埋葬されています。本年は同事件から80周年に当たり、8月4日及び5日にカウラ市主催で記念慰霊式典が行われました。

 

3.オーストラリア人・日本人戦争墓地献花式(8月5日)

 知事をはじめとする訪問団が、カウラ日本人脱走事件の犠牲者が眠るオーストラリア人、日本人戦争墓地で献花を行い、亡くなられた方を追悼しました。

 

知事献花

日本人墓地

日本人戦争墓地における献花の様子

美しく整備されている日本人戦争墓地

 

4.May Weir Memorial Morning Tea(メイ・ウィアー モーニングティー)(8月5日)

 1944年8月5日のカウラ脱走事件後、農場に逃げ込んだ脱走日本兵捕虜に、農場のメイ・ウィアー夫人がジャムとクリームを添えたスコーンとお茶を提供した逸話に基づき、カウラ日本庭園でお茶会が開催されました。メイ・ウィアー夫人の行為は、カウラの地元住民と日本人捕虜との間で、脱走後初めて行われた敬意と和解の行為とされています。参加者には当時と同じくジャムとクリームを添えたスコーンと紅茶が振る舞われました。

 知事は、「市民と市民の友好の絆と平和への思い、これを後世に伝えていくことは大変重要です。今後も、スポーツをはじめ様々な分野で未来を担う若い人たちの交流を発展させ、福岡県とニューサウスウェールズ州、日本とオーストラリアの理解と友好を深めてまいりたい」と挨拶しました。

 

日本庭園の知事

あいさつする知事

会場の日本庭園にてビーズリー州総督(右)、フェイガン市長(左)と

あいさつする知事

 

カウラ日本人捕虜集団脱走80周年記念式典を終えての知事コメント

 カウラ市民の皆さまに日本人墓地を大切に管理していただき、慰霊式典が州総督出席の下、厳粛に執り行われたことに心を打たれました。祖国を、そして家族を案じながら亡くなった方々のご冥福を祈り、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないと、改めて強く思いました。