福岡県は、昔から、アジアとの交流の窓口として、大陸からいろんな文化や学問、外国の品物を受け入れてきました。
弥生・古墳時代(国のはじまりのころ)
朝鮮半島、中国大陸に近い福岡県は、いち早く大陸文化にふれ、日本のどの地方よりも早く米づくりを始めました。
志賀島で見つかった金印や沖ノ島にささげられた品々は当時のアジアとの密接な交流の様子を物語っています。
平野には小さな国が誕生しました。そのうちのひとつは、卑弥呼で有名な邪馬台国だったのではないかという説もあります。
飛鳥・奈良・平安時代
学生や僧侶が盛んに海をわたり、大陸の新しい学問や文化を持ち帰るようになりました。
また、日本の外交の拠点として大宰府が置かれ、西海道(当時の九州)の政治・文化の中心として栄えました。
鎌倉・室町時代
二度にわたる元との戦い(元寇)の時、九州武士の戦いぶりは勇ましく、「蒙古襲来絵詞」に語りつがれています。貿易においても博多商人は海外で活躍し、アジア諸国から多くの品々をもたらしました。
戦国時代
多くの武将たちが各地で競い合った時代、すぐれた戦略で活躍した黒田官兵衛や、忠義、武勇が九州一と高く評価された立花宗茂などが、藩の基礎をつくりました。
江戸時代
福岡藩、久留米藩、柳河藩、小倉藩などがおかれたこの時代は、平和が続き、各地で特産品が作られるようになりました。
明治時代
廃藩置県により、昔の藩の地域が県となりました。そしてその後、小倉、福岡、三潴の3県の時期をへて、1876年(明治9年)に現在の福岡県ができました。
また、県内の製鉄、石炭産業が日本の近代化を支えました。
大正時代~現代
商工業や農林水産業などが発展し、空港、道路、鉄道も整備されました。
今も、アジアに開かれた交流の拠点として発展しています。