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英彦山に49あるといわれる修験者の修業の場「窟(いわや)」。写真は第一窟の玉屋神社

小特集

銅鳥居から英彦山神宮へと続く石段の写真

銅鳥居から英彦山神宮奉幣殿までは石畳や石段の参道が約1キロメートル続く。道沿いには、修験者たちが暮らした「坊舎」跡が点在する

福岡県と大分県にまたがる標高約1200メートルの英彦山。
山形の出羽三山(でわさんざん)、奈良の大峰山(おおみねさん)と並ぶ、日本三大修験道(しゅげんどう)の一つとして知られています。
修験の痕跡が残る英彦山では、悠久の歴史を育んできた土地の神秘的な雰囲気を感じることができます。

天と地をつなぐ神の山、英彦山へ

国道500号が山道へと差し掛かる辺りから、にわかに光景が変わります。空は広く、空気は澄み、木々の色は深みを帯びてきます。そうした光景の行きつく先にあるのが英彦山です。

古来から神の山として信仰されてきた霊山で、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が御祭神(ごさいじん)であることから「日の子の山」すなわち「日子山(ひこさん)」と呼ばれていました。始まりについては定かではありませんが、鎌倉時代の『彦山流紀(ひこさんるき)』には英彦山にこもり、厳しい修行(修験(しゅげん))を行う「修験者(しゅげんじゃ)」が集い、集落を形成していたと記されています。江戸時代の最盛期には修験者3000人、彼らが暮らした坊舎(ぼうしゃ)は800を数えたそうです。

さて、英彦山には「四土結界(しどけっかい)」という考えがあったといわれています。三つの鳥居を境に四つの世界に分けられるというものです。下界と天界を隔てるのが、一つ目の鳥居、「銅鳥居(かねのとりい)」。ここから英彦山神宮奉幣殿(ひこさんじんぐうほうへいでん)のそばにある二つ目の鳥居「石の鳥居」までが、仮の浄土といわれています。石の鳥居から先は修験者が厳しい修行を積むための場。三つ目の「木の鳥居※」をくぐれば英彦山神宮の社殿(上宮)が鎮座する、神と仏の世界です。石の鳥居以降は険しい山道が続きますが、歩いたものだけが出会える美しい世界が待っています。特に山が錦に染まるこれからの季節は格別。修験者のように悟りを得るとはいわずとも、清々しい心持ちになれるに違いありません。

※現在は柱のみ残存

花見ヶ岩公園から眺める英彦山の写真

英彦山が一望できる花見ヶ岩公園

紅葉の中を進むスロープカーの写真

英彦山神宮奉幣殿まではスロープカーで行くこともできる。山肌をゆっくりと進み、爽快な眺めが楽しめる

財蔵坊の外観写真

江戸時代には800余りあったといわれる修験者が生活した坊舎。「財蔵坊(ざいぞうぼう)」は当時のままの姿を残す唯一のもの。現在は添田町歴史民俗資料館に(土日・祝日のみ開館)

霊仙寺大講堂の写真

霊仙寺(れいせんじ)の大講堂で英彦山修験の中心的構造物。現在の社殿は、1616(元和2)年に小倉藩主・細川忠興(ほそかわただおき)によって再建されたもの。国指定の重要文化財。そばにある鳥居が石の鳥居

銅鳥居の写真

1637(寛永14)年、佐賀藩主・鍋島勝茂(なべしまかつしげ)によって寄進された銅鳥居。高さ7メートル、柱まわり3メートルを誇る青銅製の大鳥居。国指定の重要文化財

英彦山神宮上宮周辺マップのイラスト

※英彦山神宮上宮周辺は、上宮修復工事の実施に伴い、2025(令和7)年12月(予定)まで立入禁止となっています
※スロープカーの運行状況は公式HPをご確認ください。

英彦山スロープカー
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