Smile移住・定住/柳川市


掘割(ほりわり)に囲まれながら日々の暮らしを新鮮に楽しむ
オーストラリアから「水郷」柳川市に移住して5年。古い歴史を持つ町の良さは住んでこそ感じられると、四季の移ろいや刻々と変化する水の気配を大切に暮らしています。
都市デザイナーが選んだ町
きっかけは「もえもん家(ハウス)」
シドニーから日本へ移住を考えたとき、都市デザインを仕事とするバリーさんの環境を第一に考え「オーストラリアやアジアへ移動しやすい町を探しました」と恵美子さん。「ここは福岡、佐賀2つの空港が近くて便利」と笑顔で話します。インターネットで候補地を探す中で、住まいを決めるためには現地への滞在が必要だと感じ、柳川市の移住体験施設「もえもん家」に約1カ月滞在。物件を探す中、歩く途中に出会ったのが現在のご自宅でした。
「滞在して柳川を好きになりましたが、移住を決めた一番の理由はこの家でした。歴史ある町と趣のある建物、私たちにとって2つの素敵な出会いがありました」とバリーさん。ただ海外からの移住や家の購入は、外国人にはハードルが高く、大変だったと振り返ります。それでも暮らしてみると、この町に魅了される日々。シドニー大学名誉教授だったバリーさんは柳川市と柳川商店街の支援を得て、シドニー大学の大学院生たちと都市デザインワークショップを3年続けて実施したことも。「柳川は城下町の歴史もあり、掘割で囲まれた都市デザインがそのまま残されている稀有(けう)な町。四季の移ろいばかりでなく、日々の暮らしの中にいつも水の気配があります」。都市デザインの視点を持ちつつ、掘割と共生する日常を楽しむお二人でした。

「もえもん家」を教室に、シドニー大学の学生たちと都市デザインワークショップも実施(2017年)。右端がバリーさん夫妻

「私たちがこの家を見つけたのではなく、この家が私たちを呼んだのでは、と思えるほど」とお気に入りのご自宅にて

住まいのすぐ横に水と緑の掘割が。こうした町並みが残っていることも柳川らしい風景

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【今回の先輩移住者】
言語学博士(シドニー大学) 岡山 恵美子(おかやまえみこ)さん
アーバンデザイナー バリー・シェルトンさん都市デザインを研究するバリーさんと、日本語の教育・研究に携わる恵美子さん。二人が柳川市を移住先に選んだ決め手は、現在のご自宅との出会いでした。
柳川市って
どんなところ
筑後平野に抱かれ、全長930キロにもわたる掘割が市を巡る“水郷”。豊かな水と共生する人口約6万5千人の市で、戦国大名の立花宗茂(たちばなむねしげ)が治めた城下町としても有名です。福岡市へ車や電車で約1時間と、移動も便利。