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2020 冬号 WINTER 通巻601号 令和2年12月18日発行(季刊)
発行 / 福岡県 県民情報広報課

 
 
 

平和と次世代のために。 ペシャワール会現地代表 中村哲(なかむら てつ)さんの
意志を継ぐ

中村哲さんの写真

 

パキスタンとアフガニスタンの人道・復興支援を
最前線で担ってきたドクターサーブ
(現地で「先生さま」の意)こと中村哲さん。
一周忌を迎え、その活動の軌跡と功績を振り返ります。

 2019年12月、アフガニスタンでの人道支援活動中に凶弾に倒れた中村哲医師(享年73歳)。中村さんは自身が現地代表を務めるペシャワール会(※1)の支援の下、1984年からパキスタンでハンセン病診療活動を始めました。1998年にはPMS(※2)を設立し、内戦を逃れた難民の診療を開始。その後、パキスタン・アフガニスタンに合計11カ所の診療所を開き、医療過疎地での活動に尽力しました。また、農業国であったアフガニスタンの大干ばつを受け、2000年、PMSは井戸を掘り、用水路を巡らせるかんがい事業に着手。土漠化した農地を次々と復旧し、死の谷と呼ばれた沙漠を緑に変え、農村を復興する「緑の大地計画(※3)」を実現させました。「困った人に手を差し伸べる」という信念を貫き、ひた走ってきた中村さんの献身的な姿とその功績は、日本中、そして現地の多くの人々に感銘と影響を与え続けています。

 「中村さんはいつも“行動で示す”ということを大事にされていました」と話すのは、朝倉市の山田堰土(やまだぜき)地改良区前理事長 徳永哲也(とくなが てつや)さん。アフガニスタンでマルワリード用水路の建設を開始していた中村さんは、取水堰建設のモデルとして山田堰(※4)に着目。2009年に視察に訪れた際、徳永さんが対応したことが縁となり、以来、同学年で「馬が合う」と親交を深めてきました。2019年4月には念願だったアフガニスタンを訪問。滞在中は農家の経験を生かし、現地の人にみかんの木の剪定(せんてい)方法を教えるなど、中村さんと約2週間を共に過ごしたといいます。

 「初めてお会いしたとき、測量技術も重機もない江戸時代に造られた山田堰の構造を見て“これは世界に広めるべきだ”と絶賛されていた姿が印象に残っています。7年かけてようやく完成した取水堰をアフガニスタンで目にしたときは、目頭が熱くなりました。瀬の流れが山田堰そっくりだったんです。忘れもしません。その時ばかりは中村さんの目が力強く語っていました。“徳永さん、やったろ”って」と振り返ります。

 7年間を費やし全長25キロメートル(現在27キロメートル)に至ったマルワリード用水路は、65万人の生活を支え、失われた農村文化の復活に寄与しています。「これだけの大事業を達成するのは並の人間にはできない。“自然といかにうまく付き合い調和するか”という自然に対する敬愛の念と共に、“平和とは何か” “次世代のために”という思想が中村さんの哲学の中にあり、今ある全ての活動に息づいていると思います。“三度の飯と、家族が一緒に生活できることが一番”ということも常々話していました」。

 「緑の大地計画」の継続と発展を担う一翼として、現地での技術指導や農具の開発などに尽くしていきたいと語る徳永さん。中村さんの意志を継ぐ人たちは、手を取り合い、歩みを進めています。

山田堰

山田堰の写真 マルワリード取水堰。もう一つの山田堰の写真

クナール河のマルワリード取水堰。時空を超え、もう一つの山田堰がアフガニスタンに

※1 ペシャワール会…1983年9月、中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO団体。

※2 PMS…Peace(Japan) Medical Services(平和医療団・日本)の略であり、中村医師が総院長を務めた現地事業体。現在は医療・農業・かんがい事業に尽力している。

※3 緑の大地計画…2002年から始まったアフガニスタン東部における農村復興事業。開墾を進めながら、米麦・果樹の栽培、養蜂、畜産など多角的な試みを行っている。

※4 山田堰…江戸時代、干ばつに苦しむ農民を救うために築造された取水堰。原型が造られたのは1663年、現在の形になったのは1790年。筑後川の水圧と激流に耐える精巧かつ堅牢な構造は、「傾斜堰床式石張堰(けいしゃせきとこしきいしばりぜき)」と呼ばれ、水流に対し斜めに造られている。230年を経た現在も活用されている。

 
通水した水路を現地の子どもたちと笑顔で歩く中村さんの写真

通水した水路を現地の子どもたちと笑顔で歩く中村さん(2005年)

「マルワリードⅡ堰」を前に、喜びを共にする中村さんと徳永さんの写真

山田堰を応用して造られた「マルワリードⅡ堰」を前に、喜びを共にする中村さんと徳永さん(2019年)

朝倉市の水車がモデルとなった高台の村の水車

用水路からの分水が難しい高台の村には水車を設置。これも朝倉市の水車がモデルとなっている。毎日1200トン以上の水をくみ上げ、村々を潤している

 

中村さんの活動の軌跡

  • 1946年

     福岡県福岡市にて出生。1973年に九州大学医学部卒業後、国内の病院に勤務。

  • 1984年

     パキスタンのペシャワール・ミッション病院に赴任。ハンセン病患者などの診療に従事。

  • 1991年

     ペシャワール会がアフガニスタン国内に最初の診療所を開設。

  • 2000年

     1970年代から悪化の一途をたどる大干ばつを受け、水源確保の緊急対策としてかんがい事業を開始。

  • 2010年

     「真珠の水」を意味するアーベ・マルワリード用水路が完成。住民の心のよりどころとなるモスク(イスラム教礼拝所)とマドラサ(イスラム神学校)も同時に建設。

  • 2019年

     長年にわたる医療支援やかんがい事業の指導などが評価され、アフガニスタン政府から名誉市民証を授与。用水路で潤った農地は約1万6500ヘクタール(福岡市の約半分)に。

     12月、作業現場へ向かう途中凶弾に倒れる。

  • 福岡県では中村哲さんのこれまでの功績をたたえ、2020年1月に福岡県県民栄誉賞を贈呈しました。

 

現地には高さ16.5メートルのナカムラ記念塔が完成。PMSの職員たちが事業の継続を誓う(2020年9月)

ナカムラ記念塔の写真

※写真提供:PMS(平和医療団・日本)