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2018 冬号 WINTER 通巻593号 平成30年12月20日発行(季刊)
発行 / 福岡県 県民情報広報課

 
 
 

トップアスリートの流儀「スポーツ立県福岡」を目指して

パラスポーツこそ
生のプレーを見て欲しい!

それは飯塚市から始まった物語。
日本の車いすテニスをけん引してきた大会から新たな星が輝こうとしています。

 

一般社団法人 日本車いすテニス協会

前田恵理(まえだ えり)会長

車いすテニスプレーヤー

高野頌吾(たかの しょうご)選手

 
 
高野頌吾(たかの しょうご)選手

高野頌吾 Shogo Takano
2003年、小郡市生まれ。小郡市立三国中学校3年生。2018年11月19日現在、国際テニス連盟による世界ランキング47位(車いすジュニア男子シングルス)

前田恵理(まえだ えり)会長(左)と高野選手(右)

高野選手(右)とジャパンオープンにジュニアのカテゴリーを作りたい、と意欲を話す前田会長

筑豊ハイツ・筑豊緑地テニスコート

国際規格のコート10面を擁する筑豊ハイツ・筑豊緑地テニスコートがジャパンオープンの舞台

ラケットを振る高野選手

車いすテニスはラケットを持って車いすを操作する難しさも。「得意のボレーを見てもらいたい」と高野選手

  1985年、アジア初となる車いすテニスの国際大会「飯塚国際車いすテニス大会 ジャパンオープン」(以下、ジャパンオープン)が開催されました。以降、毎年飯塚市で開催されているこの大会は、出場する選手だけでなく、見る人にも感動や勇気を与え続けています。この大会がきっかけで車いすテニスと出会った高野選手、車いすテニスの普及・発展に尽力している前田会長にお話を聞きました。

初めての車いすテニス
飯塚で出会った感動

─ 車いすテニスを始めたきっかけを教えてください。

高野:小学校1年生で車いすになって、何かできることを探していたときにジャパンオープンで国枝慎吾(くにえだ しんご)選手(18年11月19日現在、車いす男子シングルス世界ランキング1位)のプレーを生で見たことがきっかけです。車いすなのに、たくさん動いて普通にプレーをしている姿にすごい、と感動して、母にすぐ「やってみたい、練習したい」と伝えました。

前田:今でもしっかり覚えています。お母さまと会場に来て国枝選手と話したのよね。この大会には、障がいのある人に何らかの目標や外に出る勇気などを伝えたいという目的もあるんです。「この子が目標を持ってテニスに取り組んでくれるといいなぁ」と思いながら眺めていました。

高野:国枝選手に憧れて始めましたが、最初はラケットにボールが当たらず、悔しくて泣いてばかりでした(笑)。ジャパンオープンは一流選手のプレーを目の前で見ることができるので、本当に参考になります。今、一番上手くなりたいのはチェアワーク(車いすでのターンなどの動き)です。

前田:高野君は今年の大会ですごくいい試合をして、話題になりました。世界ランキング上位の選手たちが出場するカテゴリーとは別に、セカンドクラスというカテゴリーがあります。そこに主催者推薦枠で出場して、決勝まで勝ち進んだんです。それがもう、私たちはうれしくて。これから日本を背負うジュニア世代の選手には、世界からトッププレーヤーが集まるジャパンオープンでいろいろなものを吸収し、切磋琢磨しながら成長していってもらいたいと思っています。

大会への思いと
パラスポーツの夢

─ 大会はもう30年以上続いています。

前田:飯塚市にある「総合せき損センター」という脊髄損傷の方を治療する病院で、83年にリハビリの一環として車いすテニスが取り入れられたのがきっかけです。センターの体育館で本格的に車いすテニスの練習が始まり、福岡県だけでなく、山口県や佐賀県、熊本県などの隣県から練習に来る人も出てきて、だんだんと大会を開催する機運が高まりました。どうせやるなら世界のトップレベルの選手たちを呼びたいという思いで開催に向けて取り組み、85年の第1回から国際大会として始まり、今年で34回を数えました。

 国内の選手は、なかなか世界の選手に追い付けませんでしたが、18回大会で齋田悟司(さいだ さとし)選手が優勝して以来、国枝選手などいろいろな選手が活躍しています。北京パラリンピックで国枝選手が金メダルを獲得した時、「飯塚は第2の故郷」と言ってくれたように彼は毎年来てくれています。また、上地結衣(かみじ ゆい)選手(18年11月19日現在、車いす女子シングルス世界ランキング2位)も中学生の頃から来てくれています。そんな選手たちの成長を見ることも楽しみです。

高野:国枝選手や上地選手は憧れです。直接話す機会は少ないですが、声を掛けてくれるとすごくうれしいです。僕も大会にたくさん出て、成長して2人のように活躍したいと思います。20年もそうですけど、目標としては24年のパラリンピック。課題のメンタルも克服して、ぜひ出場したいです。

前田:メンタル強いっちゃない?(笑)ひょうひょうと試合運ぶよね。このまま海外選手たちにもまれれば、24年も本当に楽しみ。その土台になるのがジャパンオープンだと思っています。私たちの責務は介助ではなく、「最高のパフォーマンスを発揮できる環境を作る」ことです。障がいがあるとか、車いすだからというのを全く感じさせない、みんなが選手をリスペクトしている大会です。

 想像と実際に見たときのギャップが大きいのがパラスポーツです。世界のトッププレーヤーになれば、テニスの技術はもちろん、チェアワークでも見る者をとりこにします。ぜひ会場の雰囲気に触れるとともに、生のプレーを見ていただきたいと思います。

 

天皇陛下御在位30年記念
天皇杯・皇后杯 第35回 飯塚国際車いすテニス大会(Japan Open 2019)

 

2019年4月23日(火曜)から28日(日曜)

 ジャパンオープンは、国際テニス連盟が世界4大大会に次ぐ“スーパーシリーズ”に格付けているアジア最高峰の車いすテニス国際大会です。第34回大会からは、男女シングルス優勝者に、障がい者スポーツでは初めてとなる天皇杯・皇后杯が授与されています。


メイン会場:筑豊ハイツ・筑豊緑地テニスコート
問い合わせ 九州車いすテニス協会
電話0948-25-7144 ファクス0948-25-7520

上地結衣(かみじ ゆい)選手

表彰式での上地選手

選手と観客が歓談する様子

選手たちが観客の目の前に