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グラフふくおか 2014秋号 autumn 通巻576号平成26年9月20日発行(季刊) 発行 福岡県 県民情報広報課

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福岡の、歴史遺産をゆく

第2回 大牟田編

近代化の息吹に触れる石炭産業遺産

日本一の出炭量を誇った三池の主力坑

 現在、世界遺産の登録を目指している「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(※)。その中核を成すのが、大牟田市にある三池炭鉱関連施設です。
 日本の近代化を支える原動力となった石炭。三池炭鉱では西洋式の機械化採炭技術を積極的に導入し出炭量を増大させ、各坑口を結ぶ専用鉄道で運び、大型船が直接入港可能な三池港から海外へと輸出しました。輸出された三池の石炭は、船の燃料として世界の海運業を支え、また、獲得した外貨により日本の産業振興に大きく貢献しました。

 三池炭鉱の採炭を明治中期まで困難にしていた地下湧水。鉱山につきものであるこの排水問題を解決するために開削された坑口の一つが宮原坑(みやのはらこう)です。鋼製櫓(やぐら)が現存する第二竪坑(たてこう)では地下約140mの坑底に、英国から輸入したデビーポンプの汲み上げ機が設置され、排水に活躍しました。

 宮原坑の南約1.5kmにあるのが、三池炭鉱の日本一の出炭量を支えた万田坑(まんだこう)です。大牟田市と隣接する熊本県荒尾市にまたがる丘陵地にあり、竪坑櫓、巻揚機(まきあげき)室だけではなく、旧扇風機室、機械室の坑道維持設備など、炭坑内で活躍した施設が保存されています。

炭鉱電車が走った専用鉄道敷跡(せんようてつどうじきあと)

 三池炭鉱では、坑口、港湾、工場、社宅を専用鉄道が結んでいました。官営炭鉱時代に敷設された馬車鉄道がその始まり。炭鉱の拡張とともに線路は延び、明治38年には積出港である三池港までつながれました。馬車から蒸気機関車、そして電気機関車へと姿を変えながら、「炭鉱電車」の名で親しまれたといいます。

 現在も、三井化学専用線として一部の区間が使用されており、平成9年の閉山時に廃止された区間も鉄道路床(ろしょう)やそれを支える橋梁(きょうりょう)、橋台が現存しています。

 専用鉄道敷跡は、三池炭鉱の一連のシステムを理解するために欠かせない重要な資産です。

写真:専用鉄道敷跡専用鉄道敷跡
一部の区間では閉山時の枕木や、明治時代のれんがでできた構造物なども見られる
写真:万田坑(まんだこう)巻揚機(まきあげき)室万田坑(まんだこう)巻揚機(まきあげき)室
第二竪坑櫓巻揚機室の室内には巨大なギアのウィンチなど当時の機械が保存されている
写真:宮原坑 小学生ボランティアガイド
宮原坑 小学生ボランティアガイド
現在、世界遺産登録に向けて盛り上がりを見せている大牟田市。宮原坑は毎週日曜日と祝日に公開されているが、毎月第3日曜日には大牟田市立駛馬北(はやめきた)小学校の児童がボランティアガイドを担当。校区内にある宮原坑だけでなく三池港なども調べて紹介している。手描きの図を使った説明は丁寧で、分かりやすい

エネルギー供給基地の歴史を未来へ刻む港

 明治41年に開港した三池港の大きな特徴が閘門(こうもん)です。閘門は船渠(せんきょ)(ドック)と内港との間に設けられており、船渠側に観音開きされる2枚の鋼鉄製の門扉の開閉によって、船渠内の水位を一定に保つことができます。  これにより船渠内では常時大型船が着岸でき、当時、三池港からは大量の石炭を直接海外へと積み出すことが可能でした。

 三池港は、炭鉱の閉山以降も、港湾管理者である福岡県が国際港湾としてのさらなる整備・利用拡大に努めています。また、三池港地区には現在、メガソーラー発電所や環境負荷を抑えた石炭火力発電所が立地し、エネルギー供給基地としての歴史が未来へとつながっています。

(文=岩井田一昭)

写真:團琢磨(だんたくま)像團琢磨(だんたくま)像
三池炭鉱の施設や経営の近代化を次々に推し進め、石炭を有効活用する日本初のコンビナート構想も描いた
※ 「明治日本の産業革命遺産九州・山口と関連地域」の世界遺産登録
今年1月、政府により推薦書がユネスコ世界遺産センターに提出されています。ユネスコの諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)の現地調査・報告を受け、平成27年夏ごろ、世界遺産委員会の最終審議を経て、世界遺産登録の可否が決定されます。