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グラフふくおか 2013秋号 AUTUMN 通巻572号平成25年9月20日発行(季刊) 発行 福岡県 県民情報広報課

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黒田官兵衛と、その子孫たち─ 知られざる福岡藩270年

黒田藩ゆかりの地(筑豊編)

長崎街道 冷水峠

写真:長崎街道 冷水峠 慶長16(1611)年、黒田長政は冷水峠越えの長崎街道を完成させました。元々は官兵衛の発案で、戦乱が起きた場合に、城下町の福岡、商人町の博多を他の大名に通過させないことや、筑前国全体の開発を目的としていました。寛永12(1635)年、武家諸法度により、各大名の参勤交代が行われるようになった際も、冷水峠を利用することで福岡や博多を他藩の頻繁な通行から避けることが出来たのは官兵衛の先見の明と言えます。冷水峠には各大名が通った「石だたみ」が当時の姿のまま残っています。

☎0948-22-5517(飯塚市商工観光課)

麟翁寺(りんのうじ)

写真:麟翁寺  黒田二十四騎の一人、母里太兵衛が眠る寺。はじめは、「大雄寺 永忠寺」という名前で、益富城の城主であった後藤又兵衛によって母・永忠を弔うために創建されました。慶長11(1606)年、又兵衛の出奔に伴い、永忠寺は苦難の時期を迎えますが、その後、新しい城主となった太兵衛は、永忠寺を自らの菩提寺と定め日々座禅に励み、晩年をこの大隈の地で過ごしました。
 永忠寺は、一時は廃寺となっていましたが、太兵衛が埋葬され母里家の菩提寺として再興。その際、太兵衛の戒名「禪居院殿麟翁紹仁大居士(ぜんこいんでんりんのうしょうにんだいこじ)」から「麟翁寺」と改められました。麟翁寺には、益富城の搦手門(からめてもん)が山門として移築されており、境内には、太兵衛とその子、孫の墓が3基並んで建てられています。

嘉麻市大隈町1023 ☎0948-57-0207

碓井郷土館

写真:碓井郷土館 慶長5(1600)年、国替えにより豊前中津から筑前に入国することとなった黒田長政を、後藤又兵衛に従い、土豪の門名(臼井)次郎右衛門が出迎え、長柄(槍や刀)150本と持筒(鉄砲)100挺(ちょう)、馬代金を献上して名島城まで案内したとされています。
 碓井郷土館には、慶長15(1610)年に長政から与えられた黒田家の家紋入りの御膳椀具、又兵衛が出奔する際に贈ったとされる槍、江戸時代初期の長政の書簡など臼井家に伝わる貴重な史料が展示されています。

嘉麻市上臼井767 ☎0948-62-5173
9:30〜17:30(入館は17:00まで)
月曜(祝日の場合は、翌日)、年末年始 無料

東蓮寺藩

 福岡藩には「秋月藩」と「東蓮寺藩」の二つの支藩がありました。そのうち東蓮寺藩(現・直方市)は、長政の四男高政が長政より四万石を分知されて立藩します。福岡藩三代藩主光之の四男長寛は、東蓮寺藩に養子にいき三代藩主となりますが、本藩に男子がいなかったため呼び戻されて、福岡藩四代藩主綱政を名乗ります。その後、東蓮寺藩四代藩主長清の唯一の男子が本藩を継いで黒田継高となったため、東蓮寺藩は本藩に併合されました。

西光寺(さいこうじ)

写真:西光寺
飯塚市馬敷283
☎ 0948-72-0241
 慶長6(1601)年、黒田官兵衛は、福岡城築城のための用材を求め、馬敷村(現・飯塚市)をたびたび訪れており、三郡山の麓には、如水が原、休場、山立などのゆかりの地名が残っています。馬敷村を訪ねた際、官兵衛は西光寺に宿泊し、西光寺には、官兵衛自らが書き与えた法号「如水圓清」や、官兵衛が徳川家から拝領した火鉢などが今も残っています。今秋、飯塚市歴史資料館で行われる「黒田官兵衛・長政と飯塚地方展」で初めて公開されます。

飯塚市歴史資料館

飯塚市柏の森959-1 ☎ 0948-25-2930
9:30〜17:00(入館は16:30まで)
水曜(祝日の場合は、翌日)、年末年始
一般220円・高校生110円・小・中学生50円

高取焼窯跡

写真:高取焼窯跡
直方市頓野内ケ磯
 開窯当初の「内ケ磯窯」は、福智山ダム建設によって湖底に沈んでしまいましたが、ダム脇には高取焼の歩んだ歴史を記した石碑が立っています。

福岡藩窯だった高取焼
今も茶陶として愛でられる

 秀吉の朝鮮出兵は、別名「焼物戦争」と呼ばれています。各大名が優秀な陶工を連れ帰り、藩内で窯を築いて上質な作品を次々に作らせ、それらが日本の陶芸を大きく躍進させたからです。

 官兵衛や長政も、一人の陶工を連れ帰りました。八山と名乗った彼は、筑豊の各地で土を試し、宅間窯や内ケ磯窯などで作陶に励みました。これが福岡藩の藩窯「高取焼」の始まりです。

 その後、山田、飯塚、小石原、福岡で開窯され、それぞれ特色ある高取焼を生み出しました。今も茶の湯において、高取焼の茶入れや茶碗などは重用され、名品も少なくありません。

取材協力:藤香会

出典 宮川尚古『関原軍記大成.3』(国史研究会)、『ふるさと歴史シリーズ・名槍日本号を呑み取った母里太兵衛』(西日本シティ銀行)、松岡博和『南方録と立花実山』(海鳥社)、筒井紘一『南方録(覚書・滅後)』(淡交社)、福岡市美術館編『南方録と茶の心』(東林寺)

グラフふくおか夏号(平成25年6月20日発行)において、掲載内容に誤りがございました。謹んでお詫び申し上げますとともに、ここに訂正させていただきます。

15P 上写真キャプション

誤)
備前長船祐定(びぜんおさふねすけさだ)
(別名・安宅切(あたきぎり)
正)
(上)太刀 名物 「日光一文字」、
(下)刀 名物 「圧切長谷部(へしきりはせべ)」