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グラフふくおか 2014春号 spring 通巻574号平成26年3月20日発行(季刊) 発行 福岡県 県民情報広報課

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黒田官兵衛と、その子孫たち─ 知られざる福岡藩270年

福岡藩ゆかりの地

官兵衛の正室・光姫ゆかりの「圓應寺」(えんのうじ)

 大名が側室を持つことが普通だった時代に、官兵衛がただ一人の妻として生涯をともにした光姫。彼女は明るく才徳兼備で、家中のみならず領民からも慕われました。信仰心のあつかった光姫は、慶長7(1602)年、自らこの圓應寺を開基(かいき)しています。福岡の行く末を見守り、明るく照らすという光姫と官兵衛の思いを込めて、「照福山顕光院圓應寺(しょうふくざんけんこういんえんのうじ)」と名づけられています。

圓應寺(えんのうじ)

福岡市中央区大手門3-1-7 ☎ 092-761-1454

写真:圓應寺(えんのうじ)毎年8月26日の光姫の命日には、「光姫忌」の法要が行われている

藩校の歴史を受け継ぐ福岡県立修猷館(しゅうゆうかん)高校

 9代藩主黒田斉隆(なりたか)は、藩の将来を担う人材育成のために藩校設立を命じ、天明4(1784)年に「修猷館」(別名東学問稽古所・初代館長は竹田定良(たけださだよし))と「甘棠館(かんとうかん)」(別名西学問稽古所・初代館長は亀井南冥(かめいなんめい))が創設されました。藩校として古くはありませんが、二つの藩校が同時に設立されるのは極めて珍しい例でした。修猷館では朱子学、甘棠館では徂徠(そらい)学が講じられ、武士だけでなく町民も学ぶことができました。
 その後寛政10(1798)年に甘棠館が火災で焼失して閉校となり、藩校は修猷館のみとなりました。
 創立以来230年、現在は修猷館高校として多くの優秀な若者を輩出し、その歴史が今も受け継がれています。

写真:福岡県立修猷館(しゅうゆうかん)高校勉学とともにスポーツも盛んな修猷館高校。“文武両道”の人間力を養っている

城防衛の面影を残す路地(福岡市中央区赤坂・天神周辺)

 今も壮大な石垣や堀、御門や櫓(やぐら)などが残る「福岡城」。その周辺には、城の防衛のために作られた通路がそのまま残っています。
 福岡市中央区赤坂の中央図書館・体育館前から赤坂小学校方面に向かう道は、途中2カ所で不自然に折れ曲がっています。江戸時代の古地図にも記されているこの地形は「横矢掛(よこやがかり)」と呼ばれ、張り出した石垣や土塁、堀などが、敵の直進を阻み、その側面を攻撃できるようになっています。
 こうした道の名残は、西鉄グランドホテル前やジョーキュウ醤油前のカーブにも見ることができます。

写真:城防衛の面影を残す路地(福岡市中央区赤坂・天神周辺)住宅が立ち並ぶ中で、今も歴史を物語る江戸時代の道筋

福岡藩御用達の老舗店

福岡市内には、福岡藩の時代に創業され、今もその歩みを続ける商店があります。

加美家製菓 写真:加美家製菓  享保2(1717)年、初代大山惣右衛門が「大山菓子司」を創業。福岡藩の参勤交代に同行し、その菓子を認められて以来、代々福岡藩の御用達となりました。杯の形をした「黒田武士煎餅」が今も人気の商品です。

福岡市中央区唐人町1-2-19
☎ 092-751-1250

写真:黒田武士煎餅
ジョーキュウ醤油 写真:ジョーキュウ醤油
 安政2(1855)年創業で、福岡藩に醤油や味噌を納めていました。創業初期に建てられた醸造用の蔵も健在です。藩の要請を受けて金子(きんず)や救済米などを何度も献上した記録が残っています。

福岡市中央区大名1-12-15
☎ 092-741-5360

写真:献上の記録
元祖鶏卵素麺 松屋 写真:元祖鶏卵素麺 松屋
 福岡を代表する銘菓「鶏卵素麺」の元祖です。3代藩主・黒田光之(みつゆき)が店名を与え、家紋にも黒田家と同じ藤巴を許しました。昔ながらの原料・製法を今も守り続けています。

福岡市西区橋本2-1-4
☎ 092-812-6141

写真:鶏卵素麺