大名が側室を持つことが普通だった時代に、官兵衛がただ一人の妻として生涯をともにした光姫。彼女は明るく才徳兼備で、家中のみならず領民からも慕われました。信仰心のあつかった光姫は、慶長7(1602)年、自らこの圓應寺を開基(かいき)しています。福岡の行く末を見守り、明るく照らすという光姫と官兵衛の思いを込めて、「照福山顕光院圓應寺(しょうふくざんけんこういんえんのうじ)」と名づけられています。
住福岡市中央区大手門3-1-7 ☎ 092-761-1454
9代藩主黒田斉隆(なりたか)は、藩の将来を担う人材育成のために藩校設立を命じ、天明4(1784)年に「修猷館」(別名東学問稽古所・初代館長は竹田定良(たけださだよし))と「甘棠館(かんとうかん)」(別名西学問稽古所・初代館長は亀井南冥(かめいなんめい))が創設されました。藩校として古くはありませんが、二つの藩校が同時に設立されるのは極めて珍しい例でした。修猷館では朱子学、甘棠館では徂徠(そらい)学が講じられ、武士だけでなく町民も学ぶことができました。
その後寛政10(1798)年に甘棠館が火災で焼失して閉校となり、藩校は修猷館のみとなりました。
創立以来230年、現在は修猷館高校として多くの優秀な若者を輩出し、その歴史が今も受け継がれています。
今も壮大な石垣や堀、御門や櫓(やぐら)などが残る「福岡城」。その周辺には、城の防衛のために作られた通路がそのまま残っています。
福岡市中央区赤坂の中央図書館・体育館前から赤坂小学校方面に向かう道は、途中2カ所で不自然に折れ曲がっています。江戸時代の古地図にも記されているこの地形は「横矢掛(よこやがかり)」と呼ばれ、張り出した石垣や土塁、堀などが、敵の直進を阻み、その側面を攻撃できるようになっています。
こうした道の名残は、西鉄グランドホテル前やジョーキュウ醤油前のカーブにも見ることができます。
福岡市内には、福岡藩の時代に創業され、今もその歩みを続ける商店があります。
住福岡市中央区唐人町1-2-19
☎ 092-751-1250
住福岡市中央区大名1-12-15
☎ 092-741-5360
住福岡市西区橋本2-1-4
☎ 092-812-6141