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2018 春号 SPRING 通巻590号 平成30年3月20日発行(季刊)
発行 / 福岡県 県民情報広報課

 
 
 

古代ハイウェイ、官道を往く

古代の道といえば、人一人がやっと通れるような小道を想像しませんか?
実は、場所によっては現代の4車線道路に匹敵するような大きな道が、
都のあった近畿地方から各地方の拠点まで伸びていたのです。
今回は、この古代の道である「官道」を探るために、みやこ町を訪ねました。

国の権威の象徴

みやこ町の官道推定ラインと関連遺産

 官道とは、7世紀後半、都と地方を最短距離で結び、物流や軍隊の移動をスムーズに行うために全国規模で整備された道路のことです。中でも重要とされたのが都と大宰府を結ぶ山陽道と西海道(さいかいどう)でした。その要衝を担ったのが、みやこ町を通る西海道豊前路です。現在の県庁に当たる豊前国府(ぶぜんこくふ)や国分寺(こくぶんじ)などの重要な施設は、この官道沿いに整備されました。驚くべきは、その道幅。最大12メートルにも及び、現在の4車線道路に匹敵します。物流や軍隊の移動のためだけなら、これほど大きな道路は必要ありません。どうやら、官道は外国からの使者や地域の豪族・住民に対して、「国の事業はすごい」と思わせる権力の象徴であったようです。

 

高速道路と重なる官道

 

 官道の特徴は道幅だけではありません。都と各地方の拠点を最短距離で結ぶために、ひたすら直線的に整備されました。中には直線距離が30キロメートルに及ぶところもあります。丘陵(きゅうりょう)は掘削し、くぼ地を埋め立て、川には橋を架けるなど大規模な土木工事が行われました。そのルートは、現代の高速道路と重なる部分が多く、実際、みやこ町の「呰見地区官道跡(あざみちくかんどうあと)」は東九州自動車道のみやこ豊津インターチェンジと同じ位置にあります。

高速道路と重なる官道

九州の官道推定マップ/古代の西海道のルート。現代の高速道路や幹線道路と重なる点が多い。現在の日本の高速道路網が総長6500キロメートルに対し、官道は6300キロメートルと、その距離がほとんど変わらないのは驚きだ

高速道路と重なる官道
 

当時の最新技術を駆使

 このように大規模な官道整備は、何らかの専門的な技術者集団が関わり、その技術は大陸からもたらされた当時最先端のものだったと考えられています。官道の遺構からは路盤補強の跡である波板状遺構(なみいたじょういこう)や、アスファルトのように黒色土を敷き、つき固めた跡も発掘されました。また、排水のために側溝(そっこう)を設けるなど、現代の道路と変わらない工夫も施されていました。

 
呰見官道発掘調査

呰見官道発掘調査/東九州自動車道の工事の際に発見された官道。道路の断面を見ると異なる土をつき固めているのがわかる
(写真提供:九州歴史資料館)

 

官道は駅伝のルーツ?

 官道では、「駅制(えきせい)と伝馬制(てんませい)」という交通システムが敷かれました。「駅制」とは、都と地方を結ぶ緊急通信制度。およそ16キロメートルごとに設けられた「駅家(うまや)」には、宿泊施設や人、馬を配置し、馬を乗り継ぐことで、いち早く情報を伝えることができたのです。一方、「伝馬制」は、都から特命任務を帯びた使者を地方へ送迎する交通制度。郡家(ぐうけ:郡の役所)ごとに置かれた馬を乗り継ぎ目的地へ向かいました。
 このような古代の交通システムと、中継地点間の速さを競い、襷(たすき)を渡すスタイルが似ていることから、「駅制と伝馬制」はスポーツの「駅伝」の語源になったという説があります。

 
カワラケ田遺跡から検出された波板状遺構
古代の鋤
 

[上]古代の鋤(すき)/みやこ町で出土した5世紀のスコップ。時代は異なるが道具の形はそう変わらない。このようなものが官道工事に使われていたと思われる[左]カワラケ田遺跡から検出された波板状遺構(写真提供:九州歴史資料館)

 
郷土の歴史と暮らしに触れる、楽しむ。