本文へ移動

グラフふくおか 2015春号 spring 通巻578号平成27年3月11日発行(季刊) 発行 福岡県 県民情報広報課

目次に戻る

福岡の歴史遺産をゆく 第4回 北九州編|製鉄を支える水 文=安部龍太郎

福岡の歴史遺産を作家・安部龍太郎さんが巡る連載。シリーズ最終回は、官営八幡製鐵(てつ)所関連施設を巡り、世紀を超えて製鉄を支え続ける水源を北九州市、中間市に訪ねました。

河内貯水池(かわちちょすいち)
八幡東部を流れる板櫃川(いたびつがわ)をせき止めた人造湖。桜の季節をはじめ、四季を通じて市民の憩いの場となっている

 製鉄所の操業には、大量の水が必要である。

 炉内が2000度近くになる高炉の炉体冷却や、圧延機内のロール・鋼材の冷却、鋼板の洗浄などのために水は使われる。通常1トンの鉄を作るのに100〜200トンの水が必要とされ、現在、八幡製鐵所では、毎日数百万トンの水が使われている。

 明治34年に操業を開始した官営八幡製鐵所では、工業用水をどう確保するかが大きな課題だった。最初は近くを流れる川から取水していたが、これではとても間に合わない。そこで遠賀川の水を活用すべく、操業10年目の明治43年、底井野村(現中間市)に遠賀川水源地ポンプ室が作られた。

 三池炭鉱宮原坑や万田坑でも導入された英国デビー社製のポンプを蒸気機関で動かし、約11キロメートル離れた製鐵所まで毎分29トンの水を送るようにした。

 この甲斐あって、日本初の試みである銑鋼(せんこう)一貫生産を行う製鐵所の操業が軌道に乗り、この年には国内の鋼材生産の90パーセントを担うようになった。

 大正5年、第三期拡張計画により、鋼材の生産量が年間30万トンから65万トンに引き上げられると、さらなる水源を確保する必要に迫られた。そこで製鐵所から5キロメートルほど離れた河内地区に作られたのが河内貯水池(かわちちょすいち)である。

 皿倉山の南東の谷をせき止めたダムは、高さ44メートル、幅は189メートル、貯水量は700万トン。大正8年から8年の歳月を費やして築いたもので、製鐵所への水の安定供給を実現した功績は大きいが、それ以上に心を引かれるのはダムそのものの美しさである。

 12万個の切り石を使い、熊本城の石垣のように扇の勾配を見せる曲線は、一個の芸術品を見るかのようだ。

 貯水池を見下ろす高台に、ダムを見守るようにひっそりと建つ碑がある。このダムを設計した製鐵所土木部長の沼田尚徳(ひさのり)が、工事の完成を見ることなく、42歳の若さで他界した妻を偲んで建てたものである。

 心のこもった碑文を読めば、近代日本の扉を開いた八幡の製鉄事業が、人への愛と未来への希望に支えられていたことが、ひしひしと伝わってくる。

profile

あべ りゅうたろう 昭和30年、福岡県八女市生まれ。平成2年、『血の日本史』でデビュー。平成17年、『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞を受賞。平成25年、『等伯』で第148回直木賞を受賞。他の著作に、『関ヶ原連判状』、『信長燃ゆ』などがある。