宮地嶽神社
重さ5トンの「大注連縄(しめなわ)」をはじめ、「大鈴」「大太鼓」の3つの日本一がある神社。商売繁盛・交通安全・家内安全の神様として全国から多くの参拝者が訪れる。桜やショウブなど、花の名所としても有名
福間駅から東方の山手に、江戸時代、唐津街道の宿場町として栄えた畦町はあります。当時、村役人の集会所として使われた「郡屋(ぐんや)」と呼ばれる貴重な建物の損壊を食い止めようと、平成23年に町内外30人ほどで発足したのが「唐津街道畦町宿保存会」です。
畦町宿の復元図の作成や神社の池の改修を機に、本格的な町おこしを開始。空き家を利用した絵本美術館を開いたり、「畦町宿祭り」と名付けた催しを新たに生み出し、2
回目の昨年は来場者数1000人を達成しました。
「故郷を愛する気持ちが強い分、人が集まれば多くの知恵が湧いてきます。町がにぎわうのはうれしいものです」と話す事務局長の岩熊寛さん。
現在の会員数は138人。特産品にしようと、ソバの栽培を始めるなど、畦町の魅力づくりのために前進しています。
(1)福津市「住みよいまちづくり推進企画」の一環で12月に開催した「みずがめの郷(さと)バードウォッチング」の様子 (2)畦町宿の夕景 (3)趣ある景観づくりのため、街道沿いには灯籠を設置
「津屋崎は自然豊かですし、空港まで1時間以内で行ける住みやすさが決め手だったんです」。福岡県出身の山口覚さんが東京からのUターンを決め、福津市津屋崎への移住者にライフスタイルを提案する「津屋崎ブランチ」を発足したのは、平成21年。
それまで東京をベースに町おこしに関わってきたノウハウを生かしながら「地域の中に入って幸せな生き方を届けたい」と、地方への移住に必要不可欠な人とのつながりや新しい働き方を提案してきました。
移住者と地元の子どもから高齢者までが参加する「大交流会」の開催などの活動が実を結び、5年の間に約200人が移住。「引っ越してから、“津屋崎っ子”が生まれた家庭がたくさんあります」と目を輝かせる山口さん。福津から“わくわくする暮らし”を発信し続けます。
(1)日頃の交流を通して、地元の人と移住者との距離も身近に (2)地域の木工房で開催された大交流会の様子 (3)海上交易と塩田により繁栄した「津屋崎千軒」に津屋崎ブランチの拠点を構える
海岸の夕日の美しさで知られる津屋崎。「津屋崎千軒」と呼ばれる江戸時代の風情を残す町並みと海辺の自然を生かした町おこしをしようと、平成19年に地元住民23人で発足したのが、「津屋崎千軒海とまちなみの会」です。
散策地図の作製などを行ううち、活動に賛同する人が増え、現在、会員数は60人に。
「会員には、地元通の方のほか、遠方で暮らす出身者や福津の自然が好きだからという方もいますよ」と笑顔を見せる会長の吉村勝利さん。
昨年は、「その日の夕日の沈む方位や時刻が分かれば、もっと多くの人に立ち寄ってもらえるのでは」という会員の提案から「夕陽風景時計」を宮地浜に設置。また、「津屋崎里歩きフットパス」を始めるなど、ボランティアみんなで町の魅力を再発掘し、楽しく町おこしに励んでいます。
(1)島々の名称やパノラマ風景が楽しめる「夕陽風景時計」。夕日の美しさに感動の声が寄せられている (2)イギリス発祥の「フットパス」とは小径(こみち)散歩のこと。会員の皆さんがガイドを務める (3)ガイドの申し込みや町の歴史が学べる観光拠点事務所「貝寄せ館」
平成22年に福津市と観光協会、商工会などで結成した「福津市観光産業活性化協議会」。福間漁港の天然マダイが県内有数の漁獲高を誇っていたことから、「漁師町の家庭料理である鯛茶づけを地元からアピールしよう」と、平成23年に「ふくつの鯛茶づけフェア」を企画しました。
「玄界灘の天然マダイを使い、お茶か出汁(だし)をかけたごはん」をルールとして、地元飲食店に協力を呼びかけたところ18店舗が参加し、初年度は30日間で4729食を売り上げました。
「協力店や開催日も増え、4回目となった昨年は最初の年の2倍を超える1万食以上の利用があり、お客さまの満足度も年々上がってきています。“福津といえば鯛茶づけ”を定着させることが目標です」と、福津市商工観光課の藤井雄一さんらは意気込みます。
(1)今年で5年目を迎えるフェアでは、和風、洋風、トマト入りなど、個性もさまざまな鯛茶づけが登場。漁が解禁される5月から、6月末まで開催 (2)フェアオープニングの様子。遠くは東北や関東からやって来る人も