知ってる?福岡県 タイトル画像

一本のたすきをつないで走る姿がドラマと感動を生む「駅伝」。この名付け親が福岡県出身であるのをご存じですか?

武田千代三郎は、1867年に柳川藩士の家に生まれました。16歳で東京大学予備門(大学付属の教育機関)に入学し、彼の人生に大きな影響を与えた英語教師、フレデリック・ウィリアム・ストレンジと出会います。陸上競技などの名選手でもあるストレンジは、「運動は体を鍛えるだけでなく、知性と徳を磨くための手段である」と熱心に説きます。感銘を受けた千代三郎は、自身もスポーツに打ち込む中で、「立派なスポーツマンはどうあるべきか」について考えを深めていきます。

千代三郎がたどり着いたスポーツマンシップとは、「スポーツを通して体と心と知性を磨き、試合では自分自身に打ち勝ち、ひきょうなことをせず一生懸命プレーすることを、勝つことよりも大切にする」というものでした。千代三郎はこれを「競技道(きょうぎどう)」と名付け、著作も残しています。

大学卒業後は各県の知事などを歴任し、スポーツ振興に尽力。「駅伝」の名付け親となったのは1917年、大日本体育協会副会長を務めていたときのことです。東京への遷都50周年の節目に開催された大会を「東京奠都五十周年記念東海道駅伝徒歩競走」と命名しました。京都から東京までを23区間に分けて走るこの大会で関東組のアンカーを務めたのは、あの「いだてん」金栗四三(かなくり しそう)です。3年後には箱根駅伝が開催され、「駅伝」は今や海外でも「Ekiden」として知られています。

そんな偉人を輩出した柳川市では、毎年1月に駅伝競走大会を開催しています。「駅伝」の名付け親に思いをはせながら、参加・応援してみてはいかがですか。

武田千代三郎肖像 画像

武田千代三郎肖像。
知事時代は富士山の登山道整備や十和田湖の自然保護にも取り組む

柳川古文書館の田渕館長と梅本さん 画像

千代三郎について語る
柳川古文書館の田渕館長と梅本さん

問い合わせ:柳川古文書館(武田千代三郎に関すること)
☎0944-72-1037 ファクス0944-72-5559
開園時間/9時30分〜16時30分(入館は16時まで)、月曜日休館
柳川市生涯学習課 スポーツ推進係(柳川市駅伝競走大会に関すること)
☎0944-77-8837 ファクス0944-74-2707