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知ってる?福岡県

福岡県出身の人物が、北海道中央部にある月形町という町の名前の由来になっていることをご存じでしたか?その人物とは、中間市中底井野(なかそこいの)出身の月形潔(つきがたきよし)(1847-1894)。

1881(明治14)年、現在の月形町にあった樺戸集治監(かばとしゅうちかん)(現在の刑務所)の初代典獄(所長)に就任した月形は、囚人たちにその誠実な人柄が受け入れられ、彼らに寄り添いながら、北海道の開拓を手掛けました。厳しい気候、そして満足な道具も与えられない中、囚人たちは広大な農地の開発や薄暗い原始林の伐採などの作業に懸命に従事し、徐々に開拓を進めたのです。そして月形は、囚人の出獄の際には開発した農地を払い下げ、地域に定着させるなど、出獄後の生活の受け皿づくりにも尽力しました。

この月形が中間市中底井野出身であることは、数年前まで地元でもあまり知られていませんでした。きっかけは、2012(平成24)年、月形町の櫻庭(さくらば)町長からの「月形潔の出身地を訪問したい」との連絡でした。知人を通じて町長からの連絡を受けた田中榮子(たなかえいこ)さんは、地元有志とともに中間市史について古文書などの資料を収集し、勉強会を重ねました。

同年の櫻庭町長の訪問を機に、両市町の交流は深まり、2016(平成28)年には、中底井野に月形潔生誕記念之碑が建立されました。製作費用の募金が月形町からも集まったことからも彼の貢献の大きさが伝わってきます。これからの課題は、中間市の偉人伝を子供たちが学べる機会を広げること。月形の功績とともに、中間市と北海道の知られざる縁も、未来に語り継いでいきたいですね。

中底井野公民館に建てられた「月形潔生誕記念之碑」

囚人たちと寝食を共にするなど、温かい人柄だった月形潔

囚人たちの生活など貴重な資料が残る北海道の月形樺戸博物館(旧樺戸集治監本庁舎)

北海道月形町から観光典獄(大使)に任命された田中榮子さん

問い合わせ
月形町観光典獄 田中 榮子さん(中間市在住)
☎/ファクス 093-245-3428