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紙上対談 リオデジャネイロオリンピック 銀メダリスト 坂井聖人さん×福岡県知事小川洋

銀メダル獲得の活躍により日本中を沸かせた
リオデジャネイロオリンピック男子競泳・坂井聖人
選手に、競技への思いや今後の目標などについて
聞きました。

小川知事(以下、知事):銀メダル、おめでとうございます。テレビで見ていて思わずガッツポーズをしました。

坂井聖人さん(以下、坂井):ありがとうございます。銀メダルだと分かったときはすごくうれしかったです。ただ金メダルが目標でしたので、少し悔しさもありました。

知事:リオに滞在した感想はいかがでしたか。

坂井:初めてのオリンピックで全てが新鮮でしたが、練習環境も良く、日本食もあったので居心地良く過ごせました。

知事:2019年にラグビーW杯が日本で開催され、福岡県も開催地の一つです。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、本県がスウェーデンとノルウェー代表のキャンプ地にも決まっています。私たちも福岡県ならではの「おもてなし」をできるようしっかりと準備してまいります。

ふるさと・福岡を想う

知事:オリンピックを目指そうと思ったのはいつ頃からですか。

坂井:オリンピックは大学に入ってタイムが伸びてきたときに意識し始めました。知事が「知事になろう」と思われたきっかけは何ですか。

知事:知事になる前の2010年ごろ、日本経済は停滞して閉塞感もありました。国で働いていたときの経験や知識、人的ネットワークを生かして、故郷・福岡県の発展にお役に立つことができないかと考え、知事選挙に立候補しました。

坂井:故郷への思いですね。

知事:普段はどんな風に気分転換をされていますか。

坂井:今は次の東京オリンピックしか頭にないので、水泳一色といったところです。知事はいかがですか。

知事:私はスポーツ観戦や、休日には料理もします。坂井選手は、料理をすることはありますか。

坂井:たまにですが自分で作ります。栄養価の高い野菜などを意識して使うようにしています。

知事:アスリートは栄養バランス、食事が大事ですよね。

坂井:一番大好きなのはウナギ。自分では作りませんが、地元・柳川に帰った時には必ず食べます。福岡は自然が多く、空気もおいしい。落ち着きます。

2020年に向け、一つ一つの経験を重ねて

知事:2020年に向けて、目標を聞かせてください。

坂井:今回の銀メダルの悔しさをばねに、東京オリンピックでは絶対に金メダルを取りたいと思っています。また、100mバタフライでも出場して、少しでも多くオリンピックを味わいたいと思います。

知事:福岡県では将来のオリンピック・パラリンピック選手を育てるため、小中学生にさまざまな種目を体験する機会を提供し、自分に合ったものを見つけてもらう事業に取り組んでいます。そして坂井選手や道下選手に続く選手を輩出したいと思います。そんな子どもたちへメッセージをお願いします。

坂井:私は小さい頃は目立つ選手ではありませんでしたが、一つ一つの経験の積み重ねがオリンピックにつながったと思っています。子どもたちはそれぞれ目標は違うでしょうが、一つ一つの経験と目標を持つことを大切にしてほしいです。そして立ち止まったときは、誰かに相談する。私もコーチや家族に相談し前を向くことによって、ここまで来られたと思っています。

知事:目指す目標を持ち、経験から学ぶ。そしてチームで戦う。4年後の金メダルを大いに期待しています。

坂井 聖人(さかい まさと)
平成7年生まれ 柳川市出身
3歳から競泳を始め、柳川のスイミングクラブに高校まで所属、現在早稲田大学3年生。リオデジャネイロオリンピックでは、200mバタフライで銀メダルを獲得。

紙上対談 リオデジャネイロパラリンピック 銀メダリスト 道下美里さん×福岡県知事小川洋

リオデジャネイロパラリンピック女子マラソン(視
覚障害)で、パラリンピック初出場ながら銀メダルを
獲得した道下美里選手に大会の感想や今後の
目標などについて聞きました。

小川知事(以下、知事):銀メダル、おめでとうございます。後半から追い上げての逆転、見事なレースでした。

道下美里さん(以下、道下):ありがとうございます。レースでは伴走者と2人で走るのですが、練習ではたくさんの方のサポートがありました。そんなみんなの思いが原動力でした。必ずメダルを取りたいと思っていたので、ゴールした瞬間はすごくホッとしました。でも表彰台でスペインの国歌が流れたときは悔しさが込み上げて、涙が溢れてしまいました。

知事:まさに「チーム道下」でつかんだ銀メダルですね。

道下:そうです。みんなのために負けられない、私が諦めてなるものかと思って走りました。

知事:レース以外でも楽しむことはできましたか。

道下:リオはものすごく陽気な雰囲気が漂っていて、気持ちがとても高揚しました。日本食も含め各国の料理が用意されていて、私も他の日本選手も、良い環境で過ごすことができました。

知事:福岡県でも、ラグビーW杯の試合があります。道下さんなどアスリートの皆さんの意見も参考にして、福岡県らしい雰囲気で選手を迎えたいと思います。

道下:試合中やレース中は、皆さんの応援が選手のパワーになります。福岡県はきっと盛り上げてくれる人がたくさんいます。それが強みだと思います。

知事:県民の皆さんと一緒に、国際大会やそのキャンプで福岡県にお見えになる選手を温かく迎え、盛り上げたいと思います。道下選手にも、福岡県の良さをいろいろなところでPRしていただければと思います。

夢中になれる、好きなものを見つけて

知事:道下さんが陸上を始めたきっかけ、また、パラリンピックを目指したのはいつ頃ですか。

道下:ダイエットがきっかけです(笑い)。目が不自由になり、足元が不安で運動不足気味になってしまい、それを解消しようと始めました。2006年ころにはパラリンピックを意識していました。初めは中距離でしたが、2008年にはマラソンに変更しました。

知事:長距離が得意だったのですか。

道下:走ることは好きでしたが、実は持久走大会でいつもビリでした。でも、好きなことには時間を忘れて夢中になれるし、努力もできます。子どもたちにはぜひ好きなことを見つけてほしいですね。

知事:きっかけ、そしてやり続けることが大切ですね。先日、道下選手にもゲストで来ていただきましたが、県では、障害のある小中学生にさまざまなスポーツを体験してもらう事業を行っています。子どもたちに自分の好きなこと、可能性を見つけてほしいと思います。

道下:未来のメダリストになったら、もっとすてきですね。

誰もが住みやすい街になるために

知事:2020年東京での金メダルに向けて、マラソンに打ち込む日々が続くようですが、そのパワーの源は。

道下:目が不自由になって、私自身、社会とのバリアを感じることがあります。競技をする、メダルを取る私を通じて、多くの人が障害に対しての知識を持ち、みんなが住みやすい街になるきっかけになればと思っています。ベストな状態で東京にチャレンジして、金メダルを取りたいと思います。

知事:今後のご活躍を楽しみにしています。私も県民の皆さんが福岡県に生まれて良かった、生活して良かったと思っていただける「県民幸福度日本一」の福岡県を目指して頑張りたいと思います。

道下 美里(みちした みさと)
昭和53年生まれ 山口県下関市出身
山口県立盲学校在学時に陸上を始め、その後フルマラソンに挑戦。平成21年の結婚を機に太宰府市に転居。リオデジャネイロパラリンピックでは、女子マラソン(視覚障害)で銀メダルを獲得。現在、三井住友海上火災保険(株)所属。