ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 教育・文化・スポーツ > 文化財・世界遺産 > 文化財保護 > 日本遺産「古代日本の「西の都」」の広域型への変更が認定されました

本文

日本遺産「古代日本の「西の都」」の広域型への変更が認定されました

更新日:2020年7月10日更新 印刷

 このたび、平成27年度に認定されていた日本遺産「古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点」について、太宰府市単独の地域型から、筑紫野市・春日市・大野城市・那珂川市・宇美町・佐賀県基山町を含む範囲への拡充が認定されました。

 これまで、九州・筑紫の地におかれた「大宰府」を中心に繰り広げられた東アジアとの国際交流の歴史と文化に焦点を当てたストーリーにより、太宰府市が認定を受けていました。しかし、古代「西の都」に関連する文化財は、近隣の市町にまで広く分布していることから、福岡県・筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川市・宇美町・佐賀県基山町が共同し、複数市町による広域型への変更を申請していました。

 今回、文化庁から広域型への拡充が認定を受けたことにより、「天下之一都会」と呼ばれた「西の都」をめぐる壮大なストーリーを、より一層充実させることができました。

 

日本遺産ロゴマーク

日本遺産ロゴ―マーク(無断転載禁止)

※令和2年度の「日本遺産(Japan Heritage)」認定の概要については、こちらから

1 認定ストーリー

【概要】

 大宰府政庁を中心としたこの地域は、東アジアからの文化、宗教、政治、人などが流入・集積するのみならず、古代日本にとって東アジアとの外交、軍事拠点でもあり、軍事施設や都市機能を建設するのに地の利を活かした理想の場所であった。現在においても大宰府跡とその周辺景観は当時の面影を残し、宗教施設、迎賓施設、直線的な道や碁盤目の地割跡は、1300年前の古代国際都市「西の都」を現代において体感できる場所である。 (平成27年度認定申請書より抜粋)

※日本遺産のストーリー全文は、こちらから。

日本遺産「古代日本の「西の都」」ストーリー [PDFファイル/424KB]

2 認定内容変更の概要

 今回の変更は、日本遺産「古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~」を、そのストーリーに深く関わる複数市町も含めた広域型へ拡充するものです。変更内容の概要は、以下のとおりです。

【構成自治体】

変更前:

太宰府市〔地域型〕

変更後:

福岡県・筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川市・宇美町・佐賀県基山町〔広域型(シリアル型)〕

【構成文化財:30件】

当初認定:19件

大宰府跡、大野城跡、水城跡、観世音寺・戒壇院、筑前国分寺跡、大宰府学校院跡、国分瓦窯跡、宝満山、梵鐘、太宰府天満宮、太宰府天満宮神幸行事、太宰府天満宮の伝統行事、万葉集筑紫歌壇、大宰府条坊跡、官道、軍団印出土地、般若寺跡、南館跡、太宰府の梅

追加認定:11件

基肄城跡、阿志岐山城跡、次田温泉(二日市温泉)、塔原塔跡、天拝山、杉塚廃寺、牛頸須恵器窯跡、牛頸須恵器窯跡出土ヘラ書き須恵器、御笠の森、善一田古墳群、裂田溝

3 「古代日本の「西の都」」と構成文化財

 今回の変更認定により、構成文化財は30件となりました。この30件は、国指定の国宝・重要文化財・史跡や、県指定の有形文化財(建造物・美術工芸品)、市指定の史跡のほか、未指定の遺跡など様々な文化財で構成されています。

 また、その内容についても、古代大宰府と関わる役所や寺院、山城のほか、窯跡や道、灌漑用水路、行事、「西の都」前夜の国際交流を物語る史跡など多岐にわたり、「西の都」を様々な角度から眺めることができます。

No.

名称

指定等

ストーリーの位置づけ

写真

※無断転載禁止

大宰府跡(だざいふあと)

国特別史跡

 九州の政治・文化の中心であり、日本の外交、対外防備の先端拠点であった大宰府の中枢。1300年前に設けられた。平城宮などと同じ朝堂院形式の政庁、周辺官衙、外国使節を迎えるため設けられた客館などで構成される。大宰府の赴任者には遣唐使経験者など国際的に活躍した人物も多い。政庁跡周辺からの景観は、古代を想像する上で絶好の場所である。

大宰府政庁跡

大宰府跡遠景

大野城跡(おおのじょうあと)

国特別史跡

 1350年前、百済から亡命した貴族らとともに自然地形を生かし築造された古代山城。百済の都・扶余の扶蘇山城に擬えられ、水城等とともに百済系都城の姿を今に伝える。ここから大宰府全体を一望でき、遠く玄界灘も望むことができる。

大野城跡 遠景

大野城跡遠景

大野城跡 百間石垣

百間石垣

水城跡

(みずきあと)

国特別史跡

 1350年前の百済の役敗戦に際し、日本を守るため初めに築かれた城砦。水を貯えた濠と土塁とからなっており、今も長さ1.2kmもの巨大な土塁を目にすることができる。百済の都・扶余の東羅城(城壁)と同じ築造技術が採用されている。のちに大宰府の出入口となり、外国使節や都からの官人らを迎え、数々の物語が残される。

水城跡 全景

水城跡全景

水城跡 上大利小水城跡

上大利小水城

水城跡 大土居水城跡木樋

大土居小水城木樋

観世音寺・戒壇院(かんぜおんじ・かいだんいん)

国史跡・国重文(彫刻)・県有形(建造物・工芸)

母斉明天皇の追善のため天智天皇の発願で建立された寺院。周辺に49の子院があったとされ、伽藍を示す礎石等が残り古代の繁栄を示している。当寺には大陸由来の舞楽を行う楽団を備えており、陵王、納曽利の面(国重文)が現存する。落慶法要を行った玄日方(日偏に方)の塚が残る。鑑真・空海も滞在し、授戒もこの寺で初めて行われたとされ、天下の三戒壇の一つとなった。戒壇院には戒壇が伝わる。安置される16躰の諸仏(国重文)は平安~鎌倉時代の洗練された造像で、仏教文化が継続して伝わっていたことを示している。現在も同地で観世音寺(金堂、講堂は県有形)・戒壇院(本堂、鐘楼、鐘は県有形)として法灯を伝えている。

観世音寺・戒壇院 全景

観世音寺・戒壇院遠景

観世音寺 金堂

観世音寺

戒壇院 本堂

戒壇院

筑前国分寺跡(ちくぜんこくぶんじあと)

国史跡

聖武天皇の命で全国に建立された国分寺の一つ。周辺で戸籍計帳木簡が発見され、国府など筑前国の関連施設も近くにあったことがうかがわれる。周辺景観は当時の面影を残している。

筑前国分寺跡 整備状況

筑前国分寺跡

大宰府学校院跡(だざいふがっこういんあと)

国史跡

大宰府におかれた官人養成機関の跡。西海道諸国の郡司子弟が学んだ。ここに吉備真備が唐より持ち帰った孔子の肖像画が安置された施設が置かれていたと、大宰大弐大江匡房は『江家次第』に記している。現在県道沿いには、孔子廟に代々植え継がれている櫂の木の種を孔子の子孫家から譲り受け育てられたものが植樹されている。

大宰府学校院跡 近景

大宰府学校院跡

国分瓦窯跡(こくぶかわらがまあと)

国史跡

筑前国分寺跡の北東にある瓦窯跡。側壁・天井部に日干し煉瓦を用いた登り窯である。8世紀中葉ころの窯とみられ、筑前国分寺の創建瓦を焼いたと考えられている。

国分瓦窯跡

国分瓦窯跡遠景

宝満山(ほうまんざん)

国史跡

大宰府の北東にそびえる標高829mの山で、古くは御笠山と呼ばれ、美しい山容を誇る。奈良時代より山中で国家的国境祭祀が行われた。最澄は入唐の際にここで薬師仏を彫り航海安全を祈願したと記録され、帰朝後は日本六所宝塔を発願し、ここに安西塔が建立された。中世には寺院や大宰府守護の館がおかれ海外交易なども行っていた。現在は竈門神社の社地となり、古代祭祀の山の風情を伝える。

宝満山 遠景

宝満山遠景

梵鐘(ぼんしょう)

国宝(工芸品)

観世音寺鐘楼の日本最古の梵鐘である。菅原道真が漢詩「不出門」で詠じているまさにその鐘である。現在も使用されており、その音は古代に響いたものと同一である。

観世音寺 梵鐘

観世音寺梵鐘

10

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)

国宝(書跡)・国重文(建造物)

大宰権帥として太宰府で亡くなった菅原道真の廟をはじめとする。天満宮安楽寺とも言われた。平安時代には大陸由来の曲水の宴などの行事が行われはじめ、現代に伝わるものもある。文人としても崇敬され貴族や武士が参詣した。文芸の聖地となり、連歌などが奉納され続けている。また、唐代の書籍である翰苑の平安時代の写しが残る。鎌倉時代には高麗国使高柔(コユ)が参詣して詩を奉納している。本殿が国重文に指定されており、境内は伝統行事と相まって古代の雰囲気が感じられる。

太宰府天満宮 近影

太宰府天満宮

11

太宰府天満宮神幸行事(だざいふてんまんぐうじんこうぎょうじ)

県有民(無形)

平安時代(1101年)大宰権帥大江匡房におり始められた神幸行事である。毎年9月、太宰府天満宮から菅原道真の謫居地であった府の南館跡(現在は榎社)まで古代の地割を引き継ぐ道を神幸する。神幸行列は神輿を中心に400~700人が古代衣装で供奉する。

太宰府天満宮 神幸行事の様子

神幸行事

12

太宰府天満宮の伝統行事(だざいふてんまんぐうのでんとうぎょうじ)

未指定

平安時代に大宰府の上級官人により宮廷の年中行事を大宰府にうつし、さらに天満神前で行われるようになったもので、「四度宴(しどえん)」と言われた。現在に伝わるものは大陸に起源をもつ「曲水宴」、「七夕宴」、「残菊宴」であり、宴では歌や漢詩を詠むことになっている。

太宰府天満宮 曲水の宴の様子

曲水の宴

13

万葉集筑紫歌壇(まんようしゅうつくしかだん)

未指定

万葉集約4500首のうち、筑紫で詠まれた歌は約320首。奈良時代の神亀から天平年間に太宰府に滞在し、万葉集に歌を残した著名な歌人集団。とくに大宰帥大伴旅人邸で開かれた「梅花宴」32首はその名を知られる。当時「梅」は唐から渡ってきた新奇な先進の文物のひとつであった。歌は大宰府近郊でも盛んに詠まれ、豊かな文化が育まれた。

梅花の宴

山村延火華(火偏に華)作〔(公財)古都大宰府保存協会所蔵〕

14

大宰府条坊跡(だざいふじょうぼうあと)

市史跡・未指定

古代、東アジアの都で採用された碁盤目の地割をもつ都市の跡である。飛鳥時代に造営され、奈良時代には政庁・朱雀大路を備えた。その姿は唐の長安城をモデルとした平城京と似ており、設計・造営には平城京造営責任者があたっている。今も街の処々に条坊の痕跡をとどめた地割が残されている。

大宰府条坊跡 ラインあり

大宰府条坊跡の範囲

15

官道(かんどう)

未指定

大宰府の出入口となった水城の西門・東門を通過する直線道である。西門ルートは筑紫館(鴻臚館跡)と大宰府を結ぶ道で、外国使節はこのルートで大宰府へ入った。東門ルートは博多に繋がっており都からの官人赴任ルートとみられる。西門・東門ルートともに現在は市道として踏襲されている。大宰府から南に向かっては、筑後、肥前、豊前、豊後など西海道各地へと連なる官道がのび、様々な文物や人々が交流し、都市大宰府の発展を支えた。

官道 西門ルート 南から

水城西門ルート

16

軍団印出土地[御笠団印・遠賀団印](ぐんだんいんしゅつどち[みかさだんいん・おかだんいん])

未指定・国重文(考古資料)

大宰府が所在した筑前国には4つの軍団が配置されていた。うちふたつの軍団の銅印「御笠団印」「遠賀団印」(ともに国重文)が発見された場所である。大宰府条坊の北西端にあたり、大宰府・筑前国を守備した軍団が駐屯していたことがわかる。

遠賀団印出土地 現況

遠賀団印出土地

御笠団印出土地 現況

御笠団印出土地

17

般若寺跡(はんにゃじあと)

市史跡・国重文(建造物)

孝徳天皇の病気平癒を願って、筑紫大宰帥・蘇我日向が建てたとされる古代寺院。奈良時代に条坊内に移築されたとされる。当時条坊内の寺院は観世音寺と般若寺と、天皇ゆかりの寺院のみであった。塔基壇や塔心礎が見つかっており、鎌倉時代に造立された石製の七重塔(国重文)が残っている。

般若寺跡 九重塔

般若寺跡 石塔

18

南館跡(なんかんあと)

未指定

館は都からの赴任者の官舎で、このうち「南館」は菅原道真が謫居した館として知られる。その後、道真の霊を弔うため大宰大弐藤原惟憲が1023年に浄妙院を建立し、ここと天満宮を結ぶ神幸行事が大宰大弐大江匡房により1101年にはじめられた。その場所は引き継がれ、今は榎社となっている。近くに客館跡があり、朱雀大路沿いの雰囲気が感じられる場所である。

南館跡 榎社

榎社

19

太宰府の梅(だざいふのうめ)

未指定

奈良時代、春一番に開き馥郁と香る「梅」は唐から渡ってきた先進の文物のひとつであった。万葉集には「梅花宴」が残されている。太宰府でも観梅は広まったが、とくに菅原道真が梅をこよなく愛したことから、飛梅伝説・浄妙尼伝承とともに、太宰府、太宰府天満宮に梅のイメージが重なっていった。現在も天満宮への献梅行事が行われ、多くの家々の庭に植えられている。

太宰府天満宮 飛梅 満開

太宰府天満宮飛梅

20

基肄城跡(きいじょうあと)

国特別史跡

663年の百済役の後、大野城跡と同じ665年に築城された古代山城である。大宰府政庁の真南にある坊住山(404m)に所在し、大野城や水城とともに百済系都城の特徴をよく示している。奈良時代には、妻を亡くした大伴旅人と弔問に訪れた官人らが基肄城に登って歌を詠むなど、かつての緊迫した雰囲気とは一転し、交流の場ともなっていた。

基肄城跡

基肄城跡遠景

21

阿志岐山城跡(あしきさんじょうあと)

国史跡

大宰府東南の宮地岳北麓に所在する古代山城で、大野城・基肄城とも同じ時代に存在した。精緻に加工された石材を用いた石塁や、盛土を層状に突き固めて構築した土塁の築造には、当時の高い先進的技術の導入がみられ、技術面での交流が行われたこともうかがえる。

※現地は私有地のため、一般公開はしていません。

阿志岐山城跡

阿志岐山城跡遠景

22

次田温泉(二日市温泉)(すいたのゆ(ふつかいちおんせん))

未指定

万葉集に「次田温泉」とあり、大宰帥である大伴旅人が大宰府の地で妻を亡くした悲しみを、「湯の原」で鳴く鶴に重ねて読んだ歌が残され、小字にも「湯の原」がある。平安時代末ごろの『梁塵秘抄』には、大宰府高官、観世音寺僧、安楽寺僧、四王寺僧、大宰府の武士や料理人、武蔵寺の順で入浴すると記され、疲れを癒す場であるとともに、湯に集まる官人や僧らの交流の拠点でもあった。

次田温泉(二日市温泉)

現在の二日市温泉

二日市温泉 万葉歌碑

万葉歌碑

23

塔原塔跡(とうのはるとうあと)

国史跡

中心に仏舎利を納めるための舎利孔をもつ花崗岩製の塔心礎が残る。『上宮聖徳法王帝説』の裏書から、筑紫大宰帥蘇我臣日向が白雉5(654)年に建立した「般若寺」にあてる説もある。畿内の山田寺の軒瓦に系譜を持つ軒丸瓦や軒平瓦の存在から、「西の都」の成立以前から筑紫と畿内との交流があったことがうかがえる。

塔原塔跡

塔心礎

24

天拝山(てんぱいざん)

未指定

「西の都」の南に所在する標高258mの低山で、『北野天神縁起』に菅原道真が無実を訴えるため山に登り「天道」に向かって祈ったという伝承がみえ、宗祇の『筑紫道記』(文明年間〔1469-1486〕)ではその地を天拝山とする。中国の南郊祭祀(冬至に天子自ら都城南郊で天を祀る祭祀)を想起させる伝承で、大宰府近郊では重要な山と認識されていた可能性がある。その山頂からは博多湾までを一望することができ、眼下に交流の都が広がっている。

天拝山 遠景

天拝山遠景

25

杉塚廃寺(すぎづかはいじ)

市史跡

奈良時代の初めごろに建立された古代寺院で、礎石建物跡が見つかっている。大宰府政庁や周辺の役所で使われたものと同じ軒丸瓦や軒平瓦が葺かれており、都近郊の建物もまた先進的な瓦によって彩られていた。

杉塚廃寺

礎石建物跡

26

牛頸須恵器窯跡(うしくびすえきかまあと)

国史跡・未指定

6世紀中頃から9世紀中頃にかけて操業した西日本最大の須恵器生産地で、大野城市を中心に分布し、一部春日市や太宰府市にまで広範囲に及ぶ。奈良時代から平安時代前期にかけて「大宰府の食器」を生産し、官人層から一般庶民まで広く当時の食文化を支えた。

牛頸須恵器窯跡 梅頭窯跡

梅頭窯跡

牛頸須恵器窯跡 出土須恵器

窯跡出土須恵器

27

牛頸須恵器窯跡出土ヘラ書き須恵器(うしくびすえきかまあとしゅつどへらがきすえき)

県有形(美工)

牛頸須恵器窯跡からは「和銅六年」や「調」とヘラ書きされた甕片が多く出土する。10世紀前半に完成した『延喜式』には筑前国が治める税「調」の品目として大甕・小甕が記され、ヘラ書き須恵器はこの記載を裏付けるとともに、牛頸窯跡群が「西の都」だけではなく平城京をも支えていたことを示す。

牛頸須恵器窯跡出土ヘラ書き須恵器

ヘラ書き須恵器

28

御笠の森(みかさのもり)

市有民・市天然

「梅花宴」にも出席した大宰大監・大伴百代が詠んだ「念はぬを思ふといはば大野なる 御笠の森の神し知らさむ」の歌は、万葉集にも載る。百代が坂上郎女に贈った恋の歌として知られるが、街中に茂る森と、その背後に聳える大野城は、万葉の姿を今にとどめている。

御笠の森

御笠の森全景

29

善一田古墳群(ぜんいちだこふんぐん)

市史跡

6世紀後半から7世紀後半にかけての約100年間にわたり造墓された古墳群である。新羅土器や「奈」の字をヘラ書きした須恵器が出土するなど、漢字文化を含めた多様な先進文化・文物の交流がうかがえる。周辺の古墳群からも新羅土器がまとまって出土し、国際交流都市「西の都」は、こうした前代からの盛んな対外交流という素地の上に成り立っていた。

善一田古墳群 現況

善一田古墳群

30

裂田溝(さくたのうなで)

未指定

養老4(720)に成立した『日本書紀』の神功皇后紀に記された人工用水路で、那珂川から取水して山裾を流れる溝の総延長は約5.5kmに及ぶ。大きく張り出す台地を貫いて溝を掘り抜くなど一大土木事業といえる。開削時期は明確ではないが、奈良時代以前に開削されたのは確かで、国際交流の地であった筑紫の発展を支え続けた。中世以降も溝の改修が続けられ、水田地帯の脇を流れる水辺の風景は今なお当時の名残をとどめている。

裂田溝

裂田溝遠景

裂田溝 写真

丘陵を切り開いた溝

※構成文化財の写真については、福岡県教育委員会所蔵のもののほか、文化財所在市町の教育委員会や太宰府市日本遺産活性化協議会、公益財団法人古都大宰府保存協会から提供を受けたものを使用しているため、無断で転載等を行わないようお願いします。

※構成文化財の地図や一覧は、こちらから

4 関連ホームページへのリンク(外部リンク)

日本遺産「古代日本の「西の都」」の構成自治体等のホームページは、こちらからご覧いただけます。
リンクは新しいウインドウで開きます。

筑紫野市役所ホームページはこちらから

春日市役所ホームページはこちらから

大野城市役所ホームページはこちらから

太宰府役所ホームページはこちらから

太宰府市日本遺産特設ホームページはこちらから

那珂川市役所ホームページはこちらから

宇美町ホームページはこちらから

佐賀県基山町ホームページはこちらから

 

皆様のご意見をお聞かせください。

お求めの情報が分かりやすく十分に掲載されていましたか?
このページの情報は見つけやすかったですか?

※個人情報を含む内容は記入しないでください。
※お答えが必要なお問い合わせは、上の「このページに関するお問い合わせ先」からお問い合わせください。
※いただいたご意見は、より分かりやすく役に立つホームページとするために参考にさせていただきますのでご協力をお願いします。
※ホームページ全体に関するお問い合わせは、まで、お問い合わせください。

Adobe Reader

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)