本文へ移動

グラフふくおか 2014冬号 winter 通巻577号平成26年12月20日発行(季刊) 発行 福岡県 県民情報広報課

目次に戻る

福岡の歴史遺産をゆく 第3回 宗像・福津編|宗像の三女神 文=安部龍太郎

福岡の歴史遺産を作家・安部龍太郎さんが巡る連載。シリーズ第3回は、舞台を古代に。いにしえに起源を持つ宗像大社の海上神事・みあれ祭に海の民が営々と継承してきた祈りの姿を訪ねました。

「みあれ祭」では、普段は分かれて鎮座する宗像三女神が一堂に会する。9月中旬に大島の中津宮(なかつみや)にお迎えした沖ノ島・沖津宮(おきつみや)の田心姫神(たごりひめのかみ)と、中津宮の湍津(たぎつ)姫神が10月1日の早朝に御座船(ござせん)に乗り、市杵島(いちきしま)姫神が待つ神湊(こうのみなと)へ、船団に見守られながら向かう

 「乗組員の暮らしと命ば預かっとるけん、沖で決断すっ時は足の震ゆっとよ」

 そう語った青年は今年、御座船(ござせん)の船長という大役をつとめている。

 「昔ゃ、アミ(※1)ば追ってきたブリが、海面に押し合いへし合いしよった。そりば鉤(かぎ)(※2)で引っかけて好きなだけ獲りよった。近頃は魚の獲れんごとなったけん、今の若かもんは気の毒か」

 港の長老が日焼けした顔にうれいを浮かべた。

 海に生き、海に生かされてきた宗像の男たち。その営みを何千年にもわたって見守りつづけてきたのが、沖ノ島の田心姫神(たごりひめのかみ)、大島の湍津(たぎつ)姫神、そして宗像辺津宮(へつみや)の市杵島(いちきしま)姫神の三女神である。

 十月一日、年に一度、三女神が一堂に会するみあれ祭が行なわれた。早朝、大島の中津宮(なかつみや)をでた田心姫神と湍津姫神の御輿(みこし)は、港で待つ御座船に鎮座して市杵島姫神の待つ神湊(こうのみなと)に向かう。宗像七浦から駆けつけた百二十余艘(そう)の船が供奉(ぐぶ)し、御神旗を高々とかかげて海を走る。

 大社のお計らいで御座船に乗せていただいた。前夜の風のせいでうねりが強かったが、神々の船団はものともせずに波を切っていく。その勇壮な姿を見ているうちに、はからずも涙がこみ上げてきた。

 大自然の前では、人は弱くて小さい。しかし全身全霊をつくして立ち向かい、傷付きながらも一歩一歩克服してきた。

 波を切って進む船の姿が、その足取りをまざまざと感じさせてくれたのである。

 人々が本土から遠く離れた沖ノ島に五千年ちかく前から渡っていたことは、島に残る遺跡によって確認されている。宗像市や福津市にある数多くの古墳は、この地に畿内の豪族と肩を並べるほど勢力のある一族が住んで、一世紀頃から朝鮮半島との交易に従事していたことを伝えてくれる。

 その営みを支えたのは、宗像三女神への篤(あつ)い信仰である。みあれ祭に集った人たちの顔には、神々を祭る誇りと喜びがあふれていた。

※1アミ…オキアミのこと。エビに似た体長1pほどの甲殻類で、ブリなどの大型魚類の餌となる
※2鉤……金属製の曲がった先端が付いている漁具

profile

あべ りゅうたろう 昭和30年、福岡県八女市生まれ。平成2年、『血の日本史』でデビュー。平成17年、『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞を受賞。平成25年、『等伯』で第148回直木賞を受賞。他の著作に、『関ヶ原連判状』、『信長燃ゆ』などがある。