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よみがえった「日本の甘さ」 江戸時代そのままの「水飴」 「飴」の語源は「甘い」である。さらに「甘い」の語源は「うまい」だそうだ。つまり、昔々の人にとって「飴」は最上の美味だった。
今でこそ甘いものはいろいろあるが、砂糖もまだ希少な江戸時代までは、米を麦芽などで発酵させた「水飴」が“日本の甘さ”だったのである。
福岡県の東部。豊前海に面した行橋市は、江戸時代、関西や江戸の船を迎える九州の玄関口だった。当時の地名は「行事村」であり、後に「大橋村」と合併して現在の「行橋市」になっている。
行事の港からは、九州各地の物産が運び出され、また逆に関西などからの多くの品や文化人、役者の興行や相撲の巡業も、まずはここに船を着けたのである。
その行事の町で、「水飴」を売り出して大成功、後には商いを海運や醤油・酒造り、蝋造りなどにも広げて「江戸豪商百人」にまで数えられたのが「行事飴屋」であった。小倉小笠原藩の御用商として、名字帯刀はもちろん、藩札の発行まで許されていたという。
その当時、ここ行事には飴屋が何軒もあったそうだが、「行事飴屋」の「美壽飴」は中でも極上だったらしい。原材料はうるち米でなく高級品のもち米を使い、モヤシの芽で発酵させた品のある甘さだったという。しかしこの飴も、時代の波に埋もれていき、昭和20年には姿を消してしまった。
それから60年。まぼろしの水飴を再びよみがえらせたのが、行橋市のNPO法人「アクションタウン行橋」の人たちだ。「北九州空港もできることだし、行橋の代名詞になれるみやげモノがぜひ欲しい」と、かつての「行事飴屋」の子孫に教えを請い、各地の飴屋の協力を得て、まぼろしの水飴の復活に取り組んだ。
そして見事よみがえった「美壽飴」。もち米を使うため、その輝きはつややかな黄金色。甘さは麦芽で出してあり、軽やかで上品な余韻がスーッと消えていく。器にも手を抜かず江戸時代そのままに、「上野焼」のつぼを使っている。
「かつては行事も上野も同じ小倉藩。だからこそ、このつぼに入れたかったんです」と、アクションタウン行橋副理事長の末松孝一さん。「行事飴屋」に現存する上野焼のつぼを参考に、上野焼協同組合理事長の青柳一夫さんの支援を受けてつぼを再現。重厚な器が出来上がった。
現在はJR行橋駅と北九州空港で売り出しており、売れ行きも順調とか。行橋の歴史と文化を物語る、奥深い甘さの「美壽飴」。ぜひ心して味わいたい。
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当時の佇まいを残す旧飴屋門(行橋市指定文化財)
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アクションタウン行橋のメンバー。
左から末松さん、鈴木さん、久恒さん |
アクションタウン行橋では飴とともに「美壽飴の歌」も制作。地元の園児に歌われている
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| 問い合わせ先 NPO法人 「アクションタウン行橋」
〒824-0003 行橋市大橋3-9-10
TEL 0930(24)4241
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