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平成26年度奨学生レポート

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年2月28日更新

2015年春

山崎 萌生

米国ベロイト大学        

  降り積もった雪もとけ始め遅い春の訪れを目の当たりにしたのも束の間、ファイナルに追われ、気付いたころにはフレッシュマンイヤーが終わってしまいました。振り返ると今学期も本当にあっと言う間に過ぎていってしまいました。様々なことを経験しましたが、このレポートでは、私の留学生活について述べたいと思います。なお、私の修学状況については別紙レポートを参照していただければ幸いです。

 大学生活最初の学期だった秋学期が終了したとき、私はこの秋学期以上に忙しくなることはないだろうと思い、またそうであってほしいとも思いました。しかし、今学期も秋学期と同じくらい、それ以上に毎日が目まぐるしく過ぎていきました。春学期は4教科(フランス語、ライティング、ケルト音楽学、動物学)の上にオルガンとヴァイオリンの個人レッスンを受け、二つの仕事(日本語クラスのアシスタント、アフタースクールのアシスタント)をし、陸上競技部にも所属したためです。私自身が活動的で何にでも挑戦したい性分であるのと、前学期からの反省で春学期は勉強だけでないことでも生活を充実させたいという思いがあったからです。時々体調を崩してしまったり、辛いことも多々あったりしましたが、教授やホストファミリー、友人たちのおかげで無事に乗り切ることができました。それでは、今学期のハイライトをいくつか述べたいと思います。

 学期が始まって少しした頃、キャンパスの壁の一部に人種差別的な言葉が殴り書きされるという事件が起きました。言葉の内容はアフリカ系アメリカ人をターゲットとしたものでしたが、興味深いことに、この事件に対して怒りの声を上げたのは対象であるアフリカ系アメリカ人生徒や教授でなく、白色人種の生徒や教授たちでした。

 アメリカ全土で見ても、中西部はリベラルな思想を持つ白色人種の人々が多いため、ことさらショックを受けたようです。このことから分かるのは、1)悲しいことに、取り立てて騒ぐこともないくらいアフリカ系アメリカ人は差別に慣れている 2)やはり人種差別は残っている ということです。ちなみに、アフリカ系アメリカ人以外の有色人種である生徒たちは、私を含め微妙な立場におり、なんとも言えないモヤモヤとした気持ちを抱えていました。私たちもそのような対象になり得る恐怖と、私たちの存在を快く思われていない言いようのない悲しさを感じました。この一件の少し前にも、有色人種の生徒が差別的な発言を投げかけられるという事件がキャンパス上で多発していたので、白色人種が大多数を占める私の大学ではこの一件が最後の決め手となり、現地のコミュニティも巻き込んだ、ちょっとした騒動になりました。壁への落書きは生徒の仕業でしたが、それ以前の差別的な発言を投げかけた犯人はキャンパス外の住民によるものだと分かり、逮捕されました。この騒動の後、様々なミーティングが開かれ、反人種差別を推進する目的で定期的にトークセッションやアメリカ史映画の上映会が設けられました。一連の騒動を通して学んだことは、1)人種差別という問題は根深い 2)少なくとも問題視し、真摯に向き合おうとする人々もいる 3)当事者(差別の対象者)たちが声を上げなければ始まらない ということです。とてもショッキングで残念な出来事でしたが、アメリカで生活するにあたって避けては通れない問題を実際に経験したことは、卒業後アメリカで働く可能性もある私にとって意義のあることだったと思います。

 また、今学期からは陸上競技部にも所属しています。秋学期はクロスカントリーだけシーズン中で陸上はオフシーズンだったので、短距離選手である私は春学期まで待たなくてはいけませんでした。正式な大学のチームであることと、私が留学生であることで保険などの手続きなど、とても苦労しました。しかし、新しい友人を得ることもでき、何より中高6年間を通してやり続けた陸上を再開できたことはとても嬉しかったです。

 今学期一番のハイライトは、日本語では女子社交クラブと訳される、ソロリティに加入したことです。今後の大学生活に大きな影響を与えるといっても過言ではありません。ソロリティのメンバーになるには、そしてメンバーであり続けるには、一定以上の成績を修め、クラス外・学外の活動にも積極的でなくてはいけません。文武両道が理想とされています。男子学生の社交クラブもあり、こちらはフラタニティと呼ばれています。フラタニティとソロリティを合わせてグリークライフと呼びます。なぜグリーク(Greek, ギリシャ)かというと、それぞれのグループがギリシャ文字の組み合わせで呼ばれているからです。私のソロリティはKappa Deltaでギリシャ文字はKΔ、通称はKDです。KDはアメリカ全土に支部があるナショナルソロリティですが、いくつかのソロリティはその地方でしか存在しません(ローカルソロリティ)。グリークライフは、所属するフラタニティ・ソロリティが違っても結束が固く、お互いに何かあればサポートをする仕組みにもなっているので、友情以上のものを他のグリークライフからも得ることができます。グリークライフに所属することは、アメリカ人学生にとって一種のステータスでもあり、州立大学のような大きな大学だと一つ一つのグリークライフの規模も大きいため、グリークライフにまつわる人々の反応は様々です。あまり良くない反応が多く見受けられますが、私の通う大学のグリークライフは規模も小さく(最大で各グリークライフ40人程度、州立大学だと通常数百人規模)アカデミック、ボランティア活動ともにとても熱心なので、私自身はグリークライフの、KΔの一員であることを誇りに思っています。新学期からはソロリティメンバー専用の寮に住むので、今学期以上に様々なことに関われると思うと、今からとても楽しみです。ソロリティでの活動を通して、将来に繋げられる経験や、インターンなどを得ることが来学期の目標です。

  以上が私の、春学期のハイライトと来学期の目標です。一年間の学びを通して得たことを忘れずに、来学期はもっと、学業以外の活動も充実させたいと思います。

 山崎さんの写真

陸上競技部のコーチとAthlete Annual Banquetにて 

 山崎さんの写真

フランス語のクラス。晴れた日はたまに外で授業を行います。

2015年秋

永本 ひかる

ハンガリー ペーチ大学

 今学期は主に細胞分子生物学を学んだ日々でした。私の学ぶペーチ大学は、医学に関わる細胞分子生物学に特化しています。私たち学生はハンガリーで今もっともノーベル賞に近いと言われている生物学者である教授のもとで細胞の細かいところまでを学んでいます。医療が発展していき医療機器や薬が進歩していく現代で、そういった最新のものを学ぶ前に、基礎として人間の体をつくっている細胞の中にあるもの、その中ではたらくもの、その中で起こっていること、そういったものをここまで時間をかけてじっくりと細かく深く勉強できるのは、この大学ならではだと思います。1日のほとんどの時間をこの細胞分子生物学を学ぶのに費やしました。遺伝の突然変異などによって起こる病気のメカニズムや症状例も併せて勉強しました。

 また、後期から履修する解剖学の入門編としてラテン語も学びました。ラテン語は今まで学んだことのある英語、韓国語、ハンガリー語と様々な面でかけ離れていて、とても苦労しました。語学として学ぶ、というよりも体の部位や病名、それらに付属する接頭語と接尾語を覚えて、さらにそれらの単語を組み合わせながら一つの単語として覚える、というようなものでした。

 個人的に興味を持って専攻したのは,“ History Of Medicine ”という教科で、ヨーロッパの医学の歴史を学ぶ教科です。何百年も前に人のからだに興味を持ち、研究を続けてきた研究者たちや、もっと多くの人に学ばせようと医科大学を作ってくれた先人たちの功績のおかげで私たちが不自由なく暮らせて、学べているのだと再確認しました。また、ハンガリーを含めたヨーロッパ各地では薬や医療が発達しながらも、未だにオーガニックなもの(草木花や、ミネラルが豊富な温泉や泉、湖)で治療することが多くあります。そのオーガニック治療の原点ともいえる、化学薬品がない時代に、家庭にあるもので傷や病気を治そうとした母の知恵なども学べてとても興味深かったです。

 全体的に今学期は、とにかく覚えるものが多くありました。もちろん、理解しながらでないと全てを覚えるのは不可能ですが、勉強の方法としては覚える→自分でテストを作る→作ったテストを受ける→わからないところをもう一度覚え直す、の繰り返しです。特にラテン語はひたすら書いて覚えてテストに備えました。とても単純ですが、なかなかスムーズに覚えられなかったり、計画通りに勉強が進まなくて、フラストレーションを感じることも多かったように思います。

 後期からは解剖学、組織学が本格的に始まります。解剖学は体の中にある全ての骨の名前を機能とともに覚えなければなりません。今よりももっと多くのことを覚えることになると思うので、もっとじっくりと時間をかけて深く理がら、テスト前だけの知識ではなく、これから先も使っていける知識として頭に入れていきたいです。


福元 美玲

豪州クイーンズランド大学   

 

 今学期からクイーンズランド州にあるクイーンズランド大学へ編入したため、一から友達を作ったり、授業や試験対策方法の違いに苦労したりと、とにかく忙しい学期でした。キャンパスはさすが自然豊かなクイーンズランド州とあって、広く美しく、ペリカンや、小型ワニ、アヒルや七面鳥など野生動物がわんさかいて、学生たちと共存しています。本当に大きな湖があり、講義室の背景一面湖で、最初の頃をその光景に見とれてしまい授業に集中することが難しいほどでした。キャンパスは川に囲まれているので、フェリー通学をする生徒も多くいます。海外からのツアー団体が訪れるほどキャンパスが美しいので、私は授業がない日でも散歩がてら大学に行っていました。

  他大学同様、クイーンズランド大学では学生寮に滞在する生徒は非常に少ないため、自分で家探しをする必要がありました。最初の三カ月はバスで1時間ほどの場所に部屋をかり、他大学の学生や、社会人、バックパッカーと一軒家をシェアしました。大学にまだ友達がいなかったので、家に帰ると話す友人がいることは、本当に大きな支えになりました。その後、私は大学から約90km離れたゴールドコーストに引っ越しました。ここは私が大学に進学する前にワーキングホリデー中に約8カ月滞在し、働いていた、お気に入りの場所であり、その時代からの友人達がまだ滞在していたり、車の免許も大学と同時進行で習得していたため、思いっきり引っ越してきました。来学期からは通学の関係上、大学に行く日が週2〜3日に収まるようにスケジュールを立てたいと思っています。その他の日は仕事と持ち帰り課題に費やそうと思います。

  オーストラリアでは留学生でも労働が許可されており 、コーヒーショップ、バー、レストラン、学生寮の清掃など様々な仕事をやってきましたが、12月から特許明細書翻訳事務所にパートタイムで勤務することになり、今まで培ってきた経験がやっと報われるようになりました。私は現在この事務所で、鉄鋼業、半導体、車の熱管理システムなどの分野の技術特許明細書を日本語から英語に翻訳する仕事をしています。「ラディエーターや圧縮機」と日本語原本に書いていても、これを「a radiator or/and a compressor」のようにandかorにするかだけでも権利範囲に関わってくるので、案件の技術分野を下調べして技術を全部とはいきませんが、そこそこ理解していないと仕事が始まりません。ここでは大学でのプロジェクトなどを通して得たリサーチ力が役立ちました。ヨーロッパ出願やアメリカ出願かによって、使う英語、言い回し、形式が違うので新しく学ぶことが沢山あります。クイーンズランド大学を卒業するにあったって必要な 60日以上の労働という条件について、今の仕事が対象になると許可されたので、こつこつと頑張っていきたいと思います。60日以上の労働といっても、レストランでのバイトなどは含まれず、工学部を卒業したエンジニア資格を持った上司の監視下でなければなりません。実はこの条件が満たせるかとても不安でしたが、30日まで制限付きですが、大学側からの許可が無事に下りたため良かったです。

  大学留学の醍醐味の一つが、その国の学生(例えば、私にとってはオーストラリア人)だけではなく、他の国からの留学生と交流できるという点ですが、オーストラリアでは仕事場や学校外での交流の輪を広げることができます。実際、メルボルンにいた時も、私は大学の友人よりも、大学外の友人(例えばハウスメイトを通して知り合った友人たち)が圧倒的に多く、現在、ゴールドコーストでも同じです。私は学校外活動で出会った北スペイン出身の友人と一緒にスペインのバスク地方へ2週間滞在し、宗教色の強いクリスマスや独立運動の様子、その土地に根付く文化などを体験してきました。2年間オーストラリアに滞在し、安心しきってしまっていたので、久々に他の国に行く機会があって良かったと思います。これからも、新しい経験を追いかけていきたいと思います。

福本さんの写真

 

 

バスク人の友人たちと旅行先で


山崎 萌生

米国ベロイト大学

 

  思ったよりも湿度の高いウィスコンシンに戻って学期が始まったのがついこの間のように思われましたが、いつの間にか紅葉し冬がやってきて、ファイナルが過ぎたと思ったらもう2015年も終わりに近づいてきました。今学期も学業面、生活面様々なことがあったのですが、このレポートでは留学生活について述べたいと思います。

  秋学期は陸上競技部はオフシーズンなので、週末は春学期のように毎週大会があるわけでもなく比較的時間がありましたが、その週末も大半は所属するソロリティのイベントで忙しくしていました。前回のレポートでも述べましたが、ソロリティとは日本語では女子社交クラブと呼ばれる学生団体です。様々なイベントを年間を通して行うのですが、今学期は正式なメンバーとして活動する初めての学期でした。主に私が携わったのは、ガールスカウトと、Mr. Beloitと呼ばれる二つのイベントです。ガールスカウトはソロリティの掲げる「Confidence(信頼・自信)」をテーマに毎学期2回、教育的な内容でスカウトの部員に対してワークショップを行います。今学期は動物愛護に関して活動しました。5歳くらいの小さな部員から13歳くらいまでの部員をまとめるのは大変でしたが、子供好きの私はとても楽しい時間を過ごすことができました。Mr.Beloitとは日本の大学でもあるミスターコンテストのようなものですが、目的は寄付を募り、そのお金をソロリティが支援するシェルターや福祉団体に寄付することです。このように地域コミュニティや女性・社会的弱者のために活動しているソロリティのことを私は誇りに思っています。

 加入している模擬国連クラブの副部長兼書記官を今年から務めることになったのですが、活動部員数がとても少なく、財政的な問題もあり苦労しました。紆余曲折はありましたが、毎年シカゴで行われる模擬国連大会に今年も参加することができました。大学から公共交通機関を利用してシカゴまで行くのですが、駅に行くまでの車が雪道に乗り上げたり、シカゴに着いてもパレードがあっていて通行止めに遭ったりなど一苦労したのも終わった今となっては笑い話です。模擬会議は二日間に分けて行われ、最終的には議題に対する解決策を提出し、決議をしなくてはいけません。会議では各大学が一つの国を代表し(大きい大学だと一つのチームが複数の国を代表します)、実際の国連のように各部門に分かれて、それぞれの部門毎に二つのテーマが決められています。私のチームは今年はギニアを代表し、私自身はUN Habitatに配属されました。私の部門のテーマは「都市と気候変動」と「住宅とスラム開発」でした。前年は初めての模擬国連ということで何もできなかったのですが、今回は前回の教訓を活かして、積極的に他国と連携を図った結果、オマーン国の代表と議題の一つである「都市と気候変動」で解決策を提出し、さらにそれを決議で通すことができました。やり終わったときはとても達成感があり、とても誇らしくなりました。私以外の部員もなかなかの成果を挙げたようです。特に、毎年ごとに替わる特別な委員会では大国相手に討論を挑んだようです。ちなみに、今年の特別委員会は2003年委員会で、アメリカのイラク侵攻直前という設定で、いかにしてアメリカの侵攻を食い止めるかというのが論点だったそうです。結果は残念ながら、歴史通りにアメリカの侵攻を許してしまったとのことでした。この大会を通して、自分の英語力の上達具合を実感することができ、自信とともに更なる上達への向上心を得ることができました。

  秋学期は陸上がなくても仕事と他のクラブ活動、そして学業とやはり目まぐるしく過ぎていきました。来学期は時間に余裕のある講義を選択したので、陸上に力を入れつつも、学業もおろそかにならないようにバランスを図りたいと思います。

2016年春

山崎 萌生

米国ベロイト大学

 

 前年に比べると驚くほど暖かい冬でしたが、その分長引きあまり春らしくならないままに2年生も終了してしまいました。もう大学生活半分が終わってしまったのかと思うと感慨深いような、それでいて少し恐ろしいような気がします。今学期は学業面であまり苦労しなかった分、生活面での苦労が多々ありました。

 春学期は陸上のシーズンのため、練習や試合などで体を酷使することが多く疲労からよく怪我をしていました。また、そんな状態なのに無理をして練習をし、結果が良くないことに落ち込んだりして、そのストレスから食生活が乱れて遂には貧血にまでなり病院にかかる事態になってしまいました。さらに長引く冬で太陽にあたることがなかったこともあり、SAD(冬季鬱)とビタミンD欠乏(不足よりも悪化した状態)であることも同時に発覚しました。日本にいた頃は皆勤賞をいただくほどに健康体で、健康に関しては自信があったので自分でも大変驚きました。また、血液検査と診察だけで1,000ドル(約10万)もかかってしまうアメリカの医療事情にも驚きました。費用は保険である程度はカバーできたのですが、それでも日本に比べるとかなりの金額でした。今回の一件で、保険会社に電話して保険内容を見直したり請求書の内容を確認したり、日本ではしてこなかったことを一人でしなくてはならなったことは自立の良い経験になったと思います。

 今学期も所属するソロリティでは色々なことがありました。ソロリティとは日本語では女子社交クラブと訳される女子学生のみが加入できる団体で、ソロリティのメンバーは自分のシスター(姉妹)です。私も1年の後期、ちょうど一年前に加入しました。二年生になってからはソロリティ専用の寮に住んでいたのですが、今学期はその寮の寮長に任命され、寮と寮生活の管理をしました。人間関係の問題は他に担当するシスターがいるので、私はそれ以外の問題を解決し、生活の質を向上することが私の役割でした。寮には大きなキッチンがあり、上級生などで大学のミールプランに入ってないシスターや、私のように料理が好きなシスターが自由に使うことができます。しかし、キッチンの使用に関するルールが存在しないため、いつも汚れていたり食器やコップがなくなったりしていたので、どのようにすればみんなが気持ちよく使えるキッチンになるか新しい家事のシステムを考えるのは意外と大変でした。来学期からはソロリティごと別の寮に移り、他のクッキンググループとキッチンをシェアするのでキッチンを綺麗に保たなくてはいけないのが課題になりそうです。

 寮長という仕事以外にも、ソロリティのメインの活動にもなっている地元のガールスカウトの活動をサポートするサブグループにも所属していました。一月に一回程度のペースでキャンパス内でイベントを行うので、年齢層に合った活動内容を考えて準備・実行するのですが、その際、中高を通してNPOで活動した経験を活かすことができ、ガールスカウトの子達にも楽しんで活動してもらうことができました。

 この2年間で生活面でもたくさんのことがあり、学期を終える度に違う自分に気づきます。いい意味でも悪い意味でもこの生活に慣れてしまいましたが、3年生の前期をモロッコで迎えること、全く未知の国で新しく自分の世界を築くことがとても楽しみです。モロッコで良い刺激をもらい、視野をさらに広くしてアメリカに戻ってこれるようにしたいと思います。


福元 美玲

豪州 クイーンズランド大学

 クイーンズランド大学での大学生活1年間を終え、新しい環境にも大分慣れてきました。今学期を一言で言えば、「充実」です。まず、学習面では標準より1科目多い5科目をとり、忙しい大学生活を送りました。残念ながらグループワークをする機会がなかったため、今学期は新しい友好関係をこくことはほとんどありませんでした。仕事面では、特許翻訳以外にも、週5回のチューターを任されるようになりました。また、特許事務所でのインターンも終わり、正規ポジションを頂きました。

 これらの仕事の拠点が大学から約90キロメートル離れた街にあるので、現在はそこに生活の拠点を置いています。当然ながら新しい場所へ引っ越すと、そこの街で新しい友人ができます。大学は大学で別のグループの友人たちがいることも、オーストラリアならではだと思います。大学寮に滞在する生徒は全体の5%で、彼らも最初の学期を終えた後にそれぞれの好きな街へ引っ越していくため、大学の友人よも、学校外で出会った友人が多いのも普通です。自分の生活の拠点に友達ができるということを考えると、私は大学から離れた場所を拠点にしているので、大学の友人が少ないというのも当たり前のように感じます。私がお世話になっている人たちは大抵仕事を通して出会った方々、他大学の生徒でチューターという同じ仕事を通して出会った友人、シェアメイトたちです。

 それにしても、オーストラリアの大学生は大学に生活の拠点を置いていないと感じます。オーストラリアでは就職活動というものが特にないので、「新卒」という概念もありません。新卒で働いた経験がないと採用されないので、ほとんどの学生が、大学在学中にパートタイムで働いているか、学業を休んでインターンシップをしています。

 以前何度か触れたことがありますが、オーストラリアでは学生の労働が二週間あたり40時間に限り許可されており、学期休暇中は無制限で許可されています。よく大学卒業条件の一つに労働経験があることが挙げられていますが、留学生でもそこで不利にならないような制度になっています。

 特に2年生以上にもなると、大学に来る日よりも仕事の日が多いでしょう。

 でもそれは学業をないがしろにしているのではなく、学業と仕事の両立をしているということです。学業をなめていると、一瞬にして成績は落ち、インターンシップのさえも届かなくなります。また、研究室や図書館は24時間空いているので、プロジェクトなどは自分の時間のあるときにできます。

 充実した留学生活を送っていますが、やはり留学生ならではの苦労などもあります。支えてくれる家族がいないので、例えば引っ越しの時など、自分で手配するか、友人を頼うことになります。また、働いていると、特に不動産探しに費やす時間が限られます。オーストラリアでは、気に入った場所を見つけたら、掲示板でオープンハウスの時間(約15分)を確認し、自力でその場にたどり着かなければいけません。不動産屋に時間の変更などを頼んでもだいたい断られるので、仕事と大学を休むことになります。そんな時に、こちらに家族がいる学生たちは家族からの手助けがあるので羨ましいです。

 日本に比べてすべてが不便な生活ですが、そのおかげで大分図太くなったかなと思います。強い精神力と行動力さえあれば特に不便だと思わなくなります。また、他の留学生や移民との助け合いで無理なことも可能になったりするので(またその逆もあり)、予想がつかない部分もありますが、毎日が刺激的で全く飽きることがない生活を送っています。


永本 ひかる

ハンガリー ペーチ大学

 この春学期は授業数的にも授業の内容的にもとてもハードな学期となりました。特に今学期から始まった解剖学、組織学は想像を超える大変さだったと思います。

 私たち医学生は卒業までに3回解剖学を専攻しなければなりません。今学期は1回目の専攻なので、人体の体のパーツを主に学習しました。人体にある全ての筋肉、その筋肉を動かす神経、並走する血管、骨や関節、その関節の役割を全て覚えます。筋肉は足やお腹、背中などのわかりやすいものもあれば、手のひら、足の裏など、筋肉が入り組んでいて、かつとても小さくてわかりにくいものもあります。解剖学1では理解して学習するというより、とにかく覚える、ひたすら覚える、の繰り返しです。解剖学実習のほうでは自分たちの手でご献体を解剖し、授業で習った筋肉や神経、血管の実際の場所を確認します。1回目の解剖学実習の授業で、始めて人体の体にメスを入れた時の感触や気持ちは言葉にできない複雑さがありました。毎週金曜日の放課後に解剖室が解放されるので、クラスメイトと遅くまでホルマリンの臭いにむせながら献体を眺め、メスでご献体に残った脂肪を丁寧に取り除き、下手な絵ながらも細かくスケッチして覚えました。しかし初回の授業のときに抱いた複雑ながらも献体に感謝した気持ちは授業の回数が進むうちに薄れていき、ご献体も自分の学習の一つのステップとしてとらえてしまうようになったのも事実です。

 そんなときに大学で行われたご献体に協力してくださった患者さんのご遺族、解剖学を専攻した医学生、教授たちによる慰霊祭に参加しました。私たちが医学を習得するためのステップとして解剖した彼らは未来の医学生のために、とすすんで解剖を希望してくださった方達ばかりでした。まだ右も左もわからない医学生たちのために、体を差し出してくださった患者さんたち、またそれに同意してくださったご遺族に感謝し、その体を使って学ばせていただいている、と再確認するとても良い機会になりました。

 また、学期末の解剖の試験は今まで受けたどの試験より難しかったです。まず、上記した筋肉などを暗記しておくことが大前提なのですが、そこからさらに深い知識を持っているか確認するための質問がされます。解剖学の試験は口頭試験でランダムにトピックを3つひき、各トピック15分程度、絵を書いたりして説明し、そのトピック3つとも合格をもらえたら、ボディツアーという試験内容に移ります。

 言葉だけ聞くと楽しそうな試験ですが、この試験内容が解剖学の試験の中で一番難しいパートになります。内容は教授が試験室に置いてある二体の解剖済みのご献体のあらゆる部分をピンセットで差し、その差された部分について答えるというものです。トピックについて聞かれるときは、トピックを引いてから紙にいろんなことを書いて、準備する時間があるのですが、ボディツアーは準備する時間はなく、差されたらすぐ答えるというものです。解剖学の教科書では筋肉はピンク、神経は黄色、動脈は赤、静脈は青に色付けされていますが、実際の献体はほとんど同じ色です。筋肉と血管・神経を間違えることはありませんが、血管と神経は並走していることがほとんどなので、どれが動脈、静脈、神経なのかを認識するためには触って、手触りを確認した上で、その管がどこから来てどこに向かうのかを見てから答えなければなりません。口頭試験、教授が二人、という状況でとても緊張していたので、わけのわからないことを答えてしまったり、軽くパニックになってしまいました。

 また、解剖学ばかりに時間を割かなければいけない状況の中、今学期はハンガリー語の授業も一段とレベルアップされ、ハンガリーに来て初めてハンガリー語に苦戦した時期でもあります。今学期のハンガリー語は医療用語、患者さんとの会話をメインに学びました。

 ハンガリー語には日本語と同じように敬語があります。また医療用語と言っても、患者さんが子供の時は難しい言葉を使えないので、フランクで優しい、わかりやすい言い方も一緒に学びます。また文法が英語のようにまとまっておらず、例外がたくさんあるので、そこも苦労したポイントです。

 しかし、一般会話で使われるものとは全く異なった医療用語でもハンガリー語を学んでいくうちに、街やバスの中でハンガリー人と今まで以上に会話できるようになっていることに気付き、とても嬉しい収穫になりました。ハンガリー人は基本的に外国から来た私たち学生に優しいのですが、拙いハンガリー語でも使うと更にとても良くしてくれます。また私の住むペーチという街はとても小さいので、よく行くレストランやカフェの店員さんとはだいたい顔なじみです。彼らは英語を話せるのですが、私たちがハンガリー語を学んでいるのを知っているので、必ずハンガリー語で話しかけてきます。彼らは私たちのハンガリー語が上達すればするほど自分のことのように喜んでくれるし、時にはハンガリー語の宿題をしていると手助けしてくれたりもします。

 ブダペストのように便利ではないし、大きくも華やかな街でもないですが、もっとハンガリー語を学びたいと思い、ますますペーチという街が好きになった半年となりました。

2016年秋

山崎 萌生

米国 ベロイト大学

 3年の前期はアメリカには戻らずにモロッコに一学期間、大学の提携を通して交換留学をしていました。モロッコというと何となく一年中暑いイメージがありますが、私の通った大学は山の中にあるため冬になると雪も降るくらい寒かったです。

 私が専攻する国際関係学では一学期間の留学が推奨されています。私はアフリカ学(サハラ以南)の政治などを主に勉強しているので、サハラ以南の国への留学が理想だったのですが、残念ながら私のスケジュールに合うプログラムが見つからなかったので、アメリカ式のリベラルアーツ教育を提供するモロッコにあるアル・アハワイン大学への留学となりました。

 こう書くと仕方なくモロッコに行ったように聞こえるかもしれませんが、実際は留学が決まった 2年の秋学期からモロッコに行くのが楽しみで仕方ありませんでした。また、ベロイト大学にはほとんど毎学期アル・アハワイン大学からの留学生がいて、そのうちの一人が交換留学プログラムに関して色々助けてくれたので、再会も心待ちにしていました。

 留学生のためのオリエンテーションが始まる二日前に日本からモロッコに入国して、友人の家に一泊させてもらい、翌日に電車で大学から一番近い都市のフェズまで向かいました。友人と別れた後一人で重いスーツケースを抱え、ダリージャ(モロッコ方言のアラビア語)が飛び交う中、人々の視線を感じながら、不安と期待で窓の外を眺めていたのも今となっては良い思い出です。オリエンテーションの間に仲良くなった二人のアメリカ人と、少ししてから知り合ったモロッコ人の 4 人で学期中のほとんどを一緒に過ごしました。

 平日は授業と課題がメインでしたが、週末になるとアメリカ人の二人とモロッコ各地を旅行したり、モロッコ人の友人たちの家に遊びに行ったり、ボランティア活動をしたりしました。特にボランティア活動はモロッコで過ごした中でも一番たくさんの思い入れがあり、ボランティア活動なしにモロッコでの留学生活は語れません。

 大学は生徒の自主活動(課外活動)がとても盛んで、多くの生徒が一つ以上何かしらの学生団体に所属しています。私は陸上・ Hand in Hand ・ Interfaith Alliance の3 つに所属していました。陸上は春学期に備えるために、その他の二つは友人とともに興味本位で入りました。

 Hand in Hand は大学でも一番大きい学生団体で、大学のある地域コミュニティに無料の医療サービス(健康・歯科診断)や課外での個別教育(アラビア語・数学など)を提供するボランティア団体です。 Interfaith Alliance は様々な宗教のバックグラウンドを持つ生徒が集まり、宗教について理解深め異教徒同士の友和を図ることを目的とした団体です。この二つの団体を通して数多くのボランティア活動に参加することができました。

 Hand in Hand では数あるチームの中でも医療チームに所属し、学期中の間に二つ無料の医療サービスを提供することができました。一つは小学校の児童を対象に歯科検診と歯磨き指導を、もう一つは小さな村を対象に健康診断を行いました。

 場所の設定から薬のドネーション、医師の調達まですべて学生だけで行うのは時間は掛かりますが、とてもやりがいがあります。小学校での検診中、歯科医師の傍らで観察した際にほとんどの子供が虫歯があることに気付きました。中にはもういくつかの歯が無い子もいました。周りにスーパーマーケットなどないため、子供たちは日持ちするように砂糖がたくさん使われたお菓子などをよく食べていて、これが虫歯の一つの大きな原因であることは間違いなさそうでした。歯磨きの指導と一緒に歯ブラシと歯磨き粉を渡しましたが、定期的に無料で補充することは難しいので支援の在り方について疑問を感じました。

 また、これは歯とは関係ないのですが、この小学校訪問で教育へのアクセスの不便さも目の当たりにしました。学校は小さい校舎に全員が一気に入りきらないため、午前と午後の二部制になっていて、子供たちは一時間以上も歩いて登校しなくてはなりません。冷房も暖房もなければあまり明るくない室内で、十分でない学用品・教科書で勉強していました。

 私たちがちょうど訪問していた際に、政府の教育に関わる人々も視察に来ていたのですが、あとから聞いた話だと政府からの教育への支援は地方には中々届かないのが現状だそうです。

 二回目の訪問は大学近くの村の学校を借りて行いました。このキャンペーンには外のクラブとの共同企画で行ったので、かなりの大規模なものとなりました。

 訪問した村には住人が気軽に行けるような診療所などないため、今回の訪問を待ちに待っていた人が途切れることなく訪れました。中には 80 歳の母親を背負って数時間歩いてきた 50 歳の女性がいて、医療へのアクセスの無さを物語っていました。医師の指示に従い一般診療と眼科・薬局の他に婦人科も設け、私は婦人科の運営を手伝いました。アラビア語が分からないので、一緒に受付を担当した友人に質問すると大抵の女性は妊娠を希望しているか、腹部の違和感を訴えて訪れたようでした。

 この診療で一人だけ腫瘍らしきものが見つかった以外、特に何事もなかったのは良かったです。時間ギリギリまで診療をすることができましたが、薬がすぐになくなってしまったのは残念でした。本当に基本的なことしかできませんでしたが、それでも訪れた人たちにとても感謝され嬉しい気持ち半分、地方の医療情勢の遅れに憂いを感じました。

  Interfaith Alliance では学期中に 2 回、フェズにある移民センターへのボランティアにも参加させてもらいました。モロッコは歴史的に“ヨーロッパへの玄関”と呼ばれていて、主に西アフリカから来た人々がヨーロッパに旅立っていったそうです。過去数十年は、様々な理由で故郷を離れた人々が違法な手段でヨーロッパ(スペイン)に渡るための場所になっており、大きな都市ではそのような人々がたくさん滞在しています。

 移民センターはクリスチャン教会が運営していて、土曜日に炊き出しなどを行います。センターを開けたら、まずカウンセリングを行い一人ひとりのニーズを聞きます。その後、必要に応じて服や靴を渡し、怪我の治療を行います。カウンセリングはスタッフとボランティアの全員で行い、名前や出身などの基本的な情報以外にも故郷を離れることとなった経緯や、どのようにしてモロッコまでたどり着いたのかを聞きます。ほとんど全員パスポートもなく違法な国境超えをしているので、不信感からあまり話したがらない人が何人もいました。多くの人がフランス語圏である西アフリカの国々の出身なのでフランス語でのやり取りでしたが、中には現地語以外話せない人もいて、他の移民の人に通訳してもらいながら、なんとかカウンセリングを行うこともありました。

 それぞれ詳細は違いましたが、全員貧困から抜け出すために故郷を離れ、ヨーロッパへ向かう予定だそうです。中には 14 歳で故郷を出てきた青年がいて、みんな本当に必死の思いで来ていることを思い知らされました。移民のほとんどが若い男性ですが、女性も少なからずいるようです。センターのスタッフによると、女性の移民の全員が道中、暴力に遭っており精神面でのサポートの必要性も感じました。

 移民の半分が既に何回かヨーロッパへの(不法)入国を試みていて、失敗に終わってはモロッコに戻ってくるそうです。国境付近では、国の警備隊が不法入国を防ぐために様々な手段で移民を追い返す際、石を投げてくることがあるそうです。石と言っても大人の拳以上に大きく、当たり具合によっては骨折など大きな怪我をおってしまいます。そのような怪我の治療
も移民センターでは行うのですが、病院ではないので応急処置程度しかできません。

 また、移民の人々は清潔な水へのアクセスも限られているので、せっかく処置しても傷口が悪化してしまうことも少なくはありません。重傷の場合だと、スタッフ付き添いで病院まで行くこともありますが、限られた資金では厳しいときもあるようでした。

 モロッコは移民、特に不法滞在の移民に対しては優しいとは言い難い場所なので、風当たりも強いみたいです。(以前は不法滞在者をサハラ砂漠に置き去りにしていたそうです。)このようにとても厳しい状況に置かれている移民の人々ですが、負けずに強く生きる姿勢には感じるものがありました。

 モロッコでのボランティア活動を通して、移民問題や医療普及の問題などについてもっと学ばなくてはいけないと感じました。また、私の興味が医療・公衆衛生にあること、将来はその分野で働きたいことを改めて確信しました。


福元 美玲

豪州 クイーンズランド大学

 今学期私が最も力を入れたことは、大学のプロジェクトと新しい仕事に慣れることです。

 大学のプロジェクトでは、6人の生徒でチームを組んで、クライアントの要望に沿ったアプリケーションやウェブシステムを提供するという課題に取り組みました。クライアント探しや、その後の取引などに教授らは全く関与しないので、チームメンバーで一から調べ、実行に移す必要がありました。

 特に、クライアントとチーム間の合意書である契約書などの書き方はこれまで学ぶ機会がなかったので、何度も書き直したり、話し合いがなかなか合意にいたらなかったりと苦労しました。また、ミーティングもクライアントの都合に合わせて、取引先のオフィスまでメンバー全員で伺う必要がありました。皆それぞれ時間割が異なり、そして、大学からオフィスまで車でないと行けない距離だったので、チーム内のコミュニケーションと協力が必要不可欠でした。

 これまで大学から課されるプログラミング関係の課題は、自分でひたすらコードを書いて完成させるスタイルがほとんどでしたので、最初は一つのプログラムを複数の生徒で仕上げることに不便を感じました。ですが、実社会で使われているようなプログラムは、一人で完成できる規模であるわけがなく、この様なプロジェクトを通して、学生の時からチームで取り組むということを学ぶ必要性があると思います。実社会でエンジニアがどの様なプロセスで商品の開発に取り組んでいるのかを実体験することができ、非常に良い経験になりました。

大学のプロジェクトで6人の同級生と一緒に撮影

 また、このプロジェクトを通して知り合ったクライアントから、クイーンズランド州政府のIT部門でシステムエンジニアとして働く機会を頂きました。

 私は日本でアルバイトというかたちでしか働いたことがないので、オーストラリアでの仕事事情と日本のものを比べることはできませんが、現在の職場で感じたことを幾つか紹介しようと思います。

 まず、現在の職場では先輩や後輩という概念がありません。問題は基本的には自分で解決しますが、必要であればプログラミング経験が長い人に手を借ります。逆に自分が教える立場にもなります。5年働いている同僚も、入ったばかりの新人も、ミーティングでは同じくらい発言をして、それぞれの発言は同等に尊重されます。また、IT部門特有かもしれませんが、出勤日、時間、働く場所などは決まっておらず、非常に自由であると感じています。

 私は、学期中は20時間、大学の講義の前にオフィスで働き、夜は家で仕事をしています。今月から学期休みに入りましたので、週40時間目安に自分の調子を見ながら働いています。仕事の内容ですが、正直に言うと、大学で学ぶ何倍ものの速さで新しい技術を習得することが出来ます。ですが、大学で三年間学んだ基礎がなければ、今の仕事につけるチャンスはなかったと思います。

 IT業界に限ったことではありませんが、オーストラリアでは在学中に仕事の経験がない学生、つまり、新卒者は卒業後も就職できません。私の他に働き始めた5人のうち4人は在学中でITのインターンシップの経験があり、残りの1人も約4年間のプログラミング経験があります。学生でありながらも実社会での仕事経験がなければならないという点に私は前々からストレスを感じていました。

 今回のプロジェクトのように、大学側もできるだけサポートしてくれていて、留学生も差別されることのなく働くことができるオーストラリアの寛容さに感謝しています。来学期も真面目に学業に励み、仕事も一層力を入れて頑張ります。


永本 ひかる

ハンガリー ペーチ大学

 今学期は比較的に授業数が少なかったので、余裕を持って授業の予習や復習ができた学期でした。また今学期は座学中心で病院に行く授業があまりなかったので、今までで一番大学生らしい授業を受けた学期でもあります。

 今学期、特に力を入れて勉強したのは生化学とハンガリー語です。生化学で学ぶ内容は5年生の薬理学まで使う知識なので丸覚えというよりも根本的な原理を全て理解していく、という形で学習しました。とくに今学期の生化学は学期中に毎週実施される小テストと、2回実施される中間試験で全て合格点を取らないとその場で留年、もしくは退学がかかるという厳しい状況だったので、授業数が少ないと言ってもストレスの多い日々だったような気がします。また生化学は私の通っている大学では珍しい筆記試験なのですが、日頃、口頭試験の練習ばかりをしているので筆記試験の方が余計に緊張しました。

 試験期間中もいつもは友達と試験管と学生の役を交互に、会話をしながら勉強していくのですが、今回はほぼ4週間誰とも話すことなくただひたすら紙に問題を解いては答え合わせをし、苦手な部分は本を読んで理解、というスタイルだったので少し日本での受験期を思い出して懐かしくなりながらも気が狂いそうな毎日でした。

 また毎学期恒例の私たち外国人生徒を悩ませるハンガリー語の授業ですが、今学期は患者さんとハンガリー語で会話しながら、その患者さんのカルテを作るというのがメインでした。

 今まではハンガリー語の先生が読む文章を聞き取って英訳したり、また逆に英語の文章をハンガリー語に直すのがメインで、先生はいつも綺麗なハンガリー語でゆっくり丁寧に話してくれていたのだなと今学期初めて分かりました。私はハンガリー南部に住んでいるので、患者さんたちの中には方言の強い方、クロアチア語訛りの方、またドイツ語訛りの方、使う言葉が少し古い高齢者の方など多種多様だったので聞き取れない部分も多くあり、自分に対してフラストレーションを感じることも多かったです。それでも患者さんたちはイライラせずに私が分かるように何度も説明し直したり言い直したりしてくださって本当に感謝しています。

 私の住む街は街自体が医学生にとても協力的で、一年生のときから実習にたくさん協力してくださいます。言葉も通じない外国人でも快く受け入れてくださり、時には「こういう聞き方の方が分かりやすいよ」と指導してくださったり、長期入院してらっしゃる患者さんたちは「上達したね」と褒めてくださったりします。毎日勉強に追われて辛い日々でもこういうちょっとしたきっかけでまた明日から頑張ろうと思えます。

 また今学期はがん予防学も学びました。ヨーロッパはアメリカや日本のものさしで考えると医療先進国ではありません。最新の医療器具が揃うわけでもなく、また神の手と呼ばれる外科医もそれほど多くありません。化学物質や手術などにはあまり頼りたくない、という考えの方が主流です。

 だからこそ日々の生活でがんにならないためにはどうするのか、という自己予防学が盛んです。頭が痛いときはこの紅茶を飲むといい、風邪のひき始めにはこの果物を食べるといい、生理不順のときはこの実を摂るといい、など、昔ながらの知恵が現代にも残っています。病院でも高熱で受診しても薬を出されることは稀で、最初に生活や食事の指導が入ります。日本では病院に行けばすぐに薬がもらえる生活に慣れていたので最初はむず痒いと感じることもありましたが、私自身、郷に入っては郷に従う、ということで緊急時でない限り薬を飲むことをやめました。プラセボかもしれませんが、日本にいたときよりも体調が安定するようになったのは事実です。

 土地が変われば生活も、生活が変われば人も、人も変われば医療も変わるというのを学んだ学期でもありました。日本の医療とヨーロッパの医療、どちらがいいとは答えは出せないと思います。どちらも良い点もあれば悪い点もあります。でも、こういう症状だからこの薬、この治療法、という機械的な考え方ではなく、患者さんの生活スタイルや今まで暮らしてきたヒストリーを基に、柔軟な考え方ができる医師になりたいなと思うようになりました。

 また、今学期は夏季の病院研修先を決める行事もありました。研修先は早いもの順で決めるので、朝6時すぎに学校の事務局に友達と向かい、無事に第一希望だった産婦人科と脳外科で初期研修ができることになりました。他の科に比べるとハードな研修になるそうですが、将来働きたいと考えている科で早いうちから様々なことを体験させてもらえることになって本当に嬉しいです。このままのモチベーションで後期、そして夏季研修まで頑張りたいと思います。

2017年春

山崎 萌生

米国 ベロイト大学

 

3年後期の留学状況について報告させていただきます。

モロッコ留学からアメリカに戻ってきた後期は特筆することがないくらいに生活面で充実したことがあるとは言い難い、学業で忙しい毎日でした。

春は陸上のシーズンで毎週末試合に出かけていました。インドアシーズンでは走り幅跳びの自己記録を更新し、中々好調だったのですがアウトドアでは怪我に悩まされるなど思い通りにいかないことも多かったです。昨シーズンは重度の貧血でほとんど試合に出ることができなかったことを思えば、プレーできただけでも上出来だと思います。来シーズンはキャプテンとしてチームを率いる立場なので、来学期から様々なトレーニングプログラムを実行して、チームがさらに活躍できるように務めたいと思います。夏の間は体調を維持すること、怪我が再発しないようにトレーニングすることを目標としたいと思います。

公衆衛生学の必修科目を通して学生が運営に携わる非営利団体Beloit Public Health Initiative (BPHI)が存在することを知り、応募したところ採用されたので学期末からはBPHIの活動にも少し携わりました。BPHIは大学のあるベロイトコミュニティの健康の改善を目的に活動しています。ベロイトはウィスコンシン州ロック郡の中でも他の市に比べて一番に15歳から29歳の性感染症率が高いため、予防と早期発見・啓発に力を入れたイベントをコミュニティ対象に行います。私はアフリカの国々でも広く蔓延しているエイズに興味があるので、BPHIの活動を通して世界におけるエイズの流行状況に関してさらなる知識を得たいと思います。来学期はイベントの運営を手伝ったり、アメリカの医療状況についてリサーチを行うなどBPHIの活動に更に深く関わることができるのが楽しみです。将来のキャリアに繋がるような意味のある課外活動にしたいと思います。

来学期はついに4年生になり、大学院やインターンシップなど卒業後のことに関して考えないといけませんが、学業ばかりのストレスを溜め込まずに友人たちと残された時間をともに楽しみ、悔いのない学生生活を送りたいと思います。

永本 ひかる

ハンガリー ペーチ大学

 

今学期は解剖学の理解を更に深めるために、講義の授業ではなく、自分たちの手で一からご献体を解剖するタイプの授業をとりました。

以前 受講した解剖学の授業とは全くの別物で、先生の指示はほとんどなく、自分たちの解剖学の知識を活用してメスを入れていき、どうしても分からないところやメスを入れにくい場所を先生に手伝ってもらう、というスタイルの授業です。

解剖学はご献体あってこその学問であり、ご献体に協力してくださった患者さん、ご家族のプライバシーや倫理の問題もあり、なかなか詳しく説明することは難しいのですが、カラダとは人によって大きく異なるものなんだと改めて実感できる授業だったと思います。

身長 体重 性別が違えば当たり前ですが外見から大きく差が出ます。でも同じような身長 体重 同じ性別でも体を開いてみれば中が全く違う、ということがよくありました。生前の生活がここまで人の中身を変えるのだと驚きました。そして授業に何度も出席するうちにご献体の患者さんの生前の生活に興味を持ち始めました。例えば「この人はよくスポーツをしていたのだろうか」「この人はタバコをたくさん吸っていたんだな」「この人は手術経験があるな」など、患者さんのカルテを見なくとも分かることもあるのだと興味深かったです。

死人に口なし、ということわざがありますが、解剖学的観点からするとことわざとは意味は違いますが 死人に口あり、です。

ご献体は教科書では学べないこともたくさん教えてくれます。教科書には人間の正常時のことが書いてありますが、私たちが解剖する体は正常ではないことの方が多いです。生まれつきどこかの血管が違う場所に位置していたり、どこかの骨が成長していなかったり、どこかの靭帯がなかったり。解剖を進めていく中で、頭の中には教科書で学んだ知識、でも実際見ているのはその知識には当てはまらない、ということが何度かあり、その度に頭の中の知識に上書きしていくのはとても大変でした。しかし、その大変な思いをして学んだ教科だからこそただの丸暗記での記憶ではなく、知識が定着したように感じます。

また、解剖学に追われる毎日で、ハンガリー語の授業の予習復習が間に合わず 授業中にみんなが何を話しているのか分からない、という場面もありました。今学期は主に患者さんの症状をハンガリー語で聞き取るという内容でしたが、臓器や体の場所、そこがどう痛むのか、いつから痛むのか、どれくらいの頻度で痛むのか、家族に遺伝的な病気はあるか、など様々なことを質問し、それを聞き取り英語に変換してカルテをつくるという作業は本当に大変でした。ハンガリー語はヨーロッパの中でも変わった言語とされていて、発音やアクセントの場所などに特徴があり、そしてネイティブは息継ぎの間もないくらい早口で連続で一文を話します。なので途中に分からない単語があるとそれに気を取られ、後の単語が頭に入ってこないことがありました。私たちの大学の医学科はドイツ語コース、英語(インターナショナル)コース、ハンガリー語コースに分かれているので、大学内でハンガリー人と接する機会はほとんどありません。なので同じクラスのノルウェー人やイラン人、韓国人や日本人たちと一緒に勉強しても、本当にその発音が正しいのか、意味があっているのかを確認できないということもあり、時間を多く割くことになりました。インターネットや携帯のアプリで翻訳しても医療用語は正しく訳されないことの方が多く、いかに一回の授業で先生が教えてくださることを正確に学ぶほうが、効率がいいか勉強になりました。ちなみにハンガリー語の教科書はハンガリー語の羅列だけで英訳がないので持っていてもほとんど使いませんでした。

 

私生活のほうでは私たちの大学に留学に来た他大学の生徒たちと意見交換する機会に恵まれました。基本的にはヨーロッパ各国からの留学生が多いのですが、同じヨーロッパでも大学のシステムや社会のルール、生活など様々な違いを知り、とても面白かったです。基本的には大学の病院で研修するのですが、6年次のインターンではハンガリーや日本だけではなく、他の国でも研修してみたいと思うきっかけとなりました。

また今年はヨーロッパ全土に大寒波が訪れました。福岡にいるときとは比べものにならない程寒い日が続き、あまりの寒さから寒冷蕁麻疹を発症してしまい病院通いの日々でした。

ブダペストにあるドナウ川や、バラトンという町にある湖は凍りついてしまって、低体温症で亡くなる方も多かったようです。

ハンガリーは裕福といえる国ではないのでホームレスや物乞いがたくさんいます。ペーチの町はブダペストに比べるととても田舎で、寒さをしのぐ地下鉄の駅や大きなバス停や駅、シェルターなどはありません。道路脇や公園などで暖をとることもせず、ただうずくまって寝ている人たちを横目で見ては 何もできず、近付こうともしない自分に腹が立ったこともあります。それを友人に話したら同じようなことを思っていたようで、着なくなった洋服や使わなくなった寝具などを教会に寄付をしに行きました。それらが、ちゃんと必要としている人に届いたのかは確認することはできませんでしたが、ほんの少しでも彼らの暖となっていればいいな、と思います。

福元 美玲

豪州 クイーンズランド大学   

 

私は今学期の大半の時間をプログラミングのスキルアップに費やしました。クイーンズランド州政府のIT部門で働く機会を得たのが昨年の10月なので、もうすぐ働き始めて1年となるところです。毎日通っているオフィスは大学の隣にあって、徒歩で20分ほどです。オフィス(リサーチセンター)には約3000人が働いており、研究者が大半です。大きな組織なので、私が所属しているIT部門の中でもいくつかチームがあり、私が一緒に働いているのは14人ほどのチームで、比較的小さいです。

どうやって学業と仕事を両立するのかとよく日本の友達に聞かれるので、ここで説明してみようと思います。私は1日の大半をオフィスで過ごすのですが、講義はオンラインで録画されているので、オフィスから講義を受けることができます。実技の時間は、自分で必要な道具(コンピューターやソフトウェア)を準備できるのであれば、大学内のコンピューター室でなくてもいいので、私は自分が働いているところのリサーチセンターの一室を借りてやります。チーム内に同じ大学の学生が何人かいるので一緒に実技科目に取り組むこともあります。実技試験は大学で受けないといけないので、仕事の合間に大学へ向かいます。私が働いているオフィスは大学付属のリサーチセンターでもあるので、こうやって自由に職場と大学を行き来できる環境が整っているのだと思います。職場の方々もほとんどが同じ大学を卒業した人たちなので、仕事の合間をぬって講義を聞いたり、実技課題のために部屋や道具をかりたりすることは快く承知してくれます。また、シャワー室やエクササイズルームなどが備わっているので、職員がストレスを溜めないような工夫がされている点も素敵だなと思います。

先日、チームの皆でAWS DevDayというAmazonが主催するソフトウェアエンジニアのための講演会に参加しました。クイーンズランド州政府は、クラウドコンピューティングに力を入れており、すべてのインフラストラクチャをAWSなどのクラウドシステムに移そうとしています。なので、アマゾンやグーグルなどのクラウドサービスを提供する大企業は、クイーンズランド政府の職員を講演会に招待したり、トレーニングプログラムを無料で提供したりして自社の商品を宣伝することが多々あります。オーストラリアに来たばかりの時、インターネットの速度などが日本と比べてまだまだ遅く、こういうテクノロジーはまだまだ劣っているという印象を受けましたが、現地の文化や生活に溶け込んでくると、実はインターネットを最大限活用して国民の生活をサポートしようとする点では、オーストラリアのほうが先進国だなと感じ始めました。例えば、オーストラリアではオンラインで病院の予約をしたり、公共交通機関で使用するカードの定期券申請や、リチャージ、返金処理など全て使用者が各自オンラインで管理したりします。もちろん携帯電話の契約もオンラインで済ませることができます。また、情報化社会に対応出来るように、将来さらにテクノロジーが発展するように、若い人たちへの教育にも力を入れています。今、公立の小学校ではタブレットやノートパソコンの購入を義務付け、「テクノロジー」という教科が導入されました。中学校では実際にプログラミングを学びます。簡単なゲームをプログラムさせることによって、プログラミングの基礎がつき、高校や大学で専門的にプログラミングを専攻したいときに対応出来るようにしています。

私はオーナーズとよばれる4年次に進学する予定で、そこでは研究と卒業論文に1年間集中して取り込みます。私が興味のある分野はマシンーラーニングという比較的新しい分野です。例えば、ルービックキューブを解くコンピューターをプログラミングしたいとします。ルービックキューブのパターンは全部で40兆通りあり、全部のパターンの揃え方を私が知るのは不可能です。ですが、もし私が、一番上の列の揃え方を知っていたとして、そのパターンだけをアルゴリズムにしてコンピューターにプログラムします。そこからはコンピューターが自分でパターンを学んで次の列、その次の列いうように最終的にルービックキューブを解けるようになります。このようにしてプログラマーが指示を与えなくてもコンピューターが自分で学ぶことで、これまで人間が解けなかった問題が解決されたり、ユーザーの生活パターンを学んだ本当の意味でカスタマイズされたデバイスが開発できたりします。これこそ、情報テクノロジーが人々の生活の質の向上に貢献する、ということではないのかなと私は思っています。

ソフトウェアエンジニアのための講演会の様子

写真:ソフトウェアエンジニアのための講演会の様子

2017年秋

永本 ひかる

ハンガリー ペーチ大学

 

 今年は冬の訪れが早く10月の時点で、もう冬が来たのかと思うほど寒い日が続きました。日本にいるときは中高6年間皆勤賞を頂くほどだったので、健康には自信がありましたが、前の冬に寒冷蕁麻疹を起こしてしまったのが癖になってしまい、今年は前回より更にひどい症状となり、更には体調の悪さから気管支炎にもかかってしまい体はボロボロの状態でした。留学してから今まで完全な一人暮らし、試験期間中は外食がほとんど、栄養管理などは全く気にしない生活を送っていて、それなりに健康に暮らしていたので本当に驚きました。日本にいたときは朝昼晩と母がいかに健康に気を遣って様々なものを食べさせてくれていたのか実感し、それと同時にこちらに来て初めてと言ってもいいほどのホームシックになりました。留学してからそれなりに友達も出来て、たまに日本食が食べたくなる程度であまり日本を恋しいと思ったことはありませんが、病気になると家族の有難さ、大切さが身に沁みました。

 今学期は大学生活で授業以外ことにもアクティブにチャレンジしてみようと思い、様々な活動に参加してみました。例えば休日に行われる病院でのチャリティやボランティア活動では「私たちが今行なっている小さい活動は、すぐに成果が出たりするものではないけれど、まわりまわって世界のどこかの誰かを救ったり人生を変えることになるかもしれない」というシスターの言葉を思い出し、とても懐かしく感じました。大きな成果も小さな一歩から、という気持ちを忘れずにこれからも続けていこうと思います。

 ボランティア活動以外では、他学部の学生と交流も積極的に行いました。私たちの大学は学部ごとに敷地がバラバラで、医学部はもともと医科大学として別の大学だったこともあり独立しているようなものなので、普段の生活では他学部生と触れ合う機会はほとんどありません。しかしよくカフェで会う他学部生とひょっとしたきっかけで話すようになり、そこからネットワークが広がって一気にたくさんの友達ができました。今まで友達は医学生ばかりだったので、他の学問を専攻している生徒の話を聞くのはとても興味深かったです。色々話していると意外と医学と共通点があったり、どこか深いところで繋がっていたりするのに気が付きました。アート、建築、法律、政治…など様々なジャンルの発展の背景には医療が関係していたり、逆に医療の発展にそれらが関係していたり、などまるで歴史の授業を受けているようで楽しかったです。友達に連れられて何度か他学部の講義にもぐったこともありましたが、基本的には医学部内の授業のみしか選択できないので授業の内容はもちろんですが、学部内の雰囲気、先生たちや生徒の様子などありとあらゆることが新鮮でした。こちらに初めて留学に来る学生には学部を問わず1年間の予備コースがあるのですが、仲良くなった友人のうち数人は予備コースで学んでいる最中でした。時には入試の試験官役になって問題を出してほしい、時には英語の文法を教えてほしい、時には話し相手になってほしい、など頼まれて手助けをするうちに気付いたことがあります。それはこちらは日本と比べて留学がとても盛んだということです。予備コースというシステムがあるということもあり、英語がそんなに話せなくても、まだ自分が何に対して興味があるのか分からなくても、とりあえず今まで自分が生まれ育った、慣れ親しんだ場所から抜け出して世界を見てみよう!と軽い気持ちで留学に来る生徒もたくさんいます。まだ留学がそんなにポピュラーではない日本で育った私からすると、え?そんな軽い気持ちで留学に来たの?と驚くこともありますが、将来どこでどんな職業に就くとしても 自分とその周りの人たちの狭い価値観の中で育つより、文化も土地も思考も何もかも違うところにまずは行ってみる、それからのことは行ってから考える!という彼らの考え方は素敵だなと思いました。

 またハンガリーの他都市で医学部の講師として働いているハンガリー人と知り合うきっかけがあり、暇を見つけては邪魔にならない程度に病院や研究室に出入りさせてもらいました。医学部の講師として働く傍ら、コールがあれば病院で医師として働く姿はまさに二刀流で尊敬の連続でした。講師として授業に備えて準備をしているときは自分が医学生のときに理解し難かった部分や、こういう質問が飛んでくるだろうと予測して授業内容の大まかな流れを決めたり、生徒よりも勉強しているのではないかと思うほどでした。医師としても常に勉強の毎日だそうで、日々変わっていく医療を学びそれを実践する、の繰り返しだそうです。学生のときはもちろんですが、社会に出てからも学び続ける姿は将来同じ道を辿るであろう私にとってはとても輝いていて、身が引き締まる思いでした。

山崎 萌生

米国 ベロイト大学

 

4年前期の留学状況について報告させていただきます。

前期は陸上がない学期なので、時間的にも余裕ある学期であることが多いのですが、今年は4年生ということで大学院への出願準備や卒業後の進路についてのその他の準備、陸上以外の課外活動など、休みはあって無いようなものでした。

 

様々な活動の中でも、先学期から始めたBPHIという活動で得たものはとても大きかったと思います。BPHIはBeloit Public Health Initiativeという、大学キャンパスではなくベロイトのコミュニティをベースにして、住民の健康に関する意識を高めることを目的にした学生団体です。専攻やバックグラウンドの異なる20人程のメンバーがいるのですが、一学期を通して常時1つか2つのサブグループに在籍し、そのグループの課題をこなしていくというスタイルで活動しています。私はリサーチグループに所属し、ベロイトコミュニティのSTI (性感染症)の罹患率などを、学期を通して調べていました。ベロイトは街を流れる川を境目に低所得者と高所得者の住み分け(セグレゲーション)がありますが、大学周辺は主に低所得者の住民が多いです。住民の経済格差は大きく、中所得者層があまりいないのが特徴です。このコミュニティでは10代での梅毒の感染率と妊娠率が周辺のコミュニティに比べても倍以上に高く、行政の課題にもなっています。この理由としては、キリスト教の保守的な考えを基に、性教育が行われていなことで避妊などに関する知識がないこと、仮にあったとしても、病院などの保健機関へのアクセスがないこと、金銭的余裕がないことなどに由来しています。

私のリサーチグループは、コミュニティの過去10年間の異なるSTIの感染率と妊娠率の変移を調べたり、実際の病院や保健機関に電話をかけて、どのようなサービス(治療)を提供しているのか確認したりしました。リサーチを学期の前半に終え、後半はリサーチ結果を基にウェブサイトを立ち上げる作業を行いました。ウェブサイトではSTIに関する用語を解説したり、実際に感染した際・妊娠した際に無料・低コストで検査できるコミュニティセンターの場所や電話番号を載せたり、地域の人々、特に若い世代の人々に向けて発信できる場の開設を目指しました。

 

来学期は私のグループの結果を受けて、実際にコミュニティに出ていくアウトリーチのグループが結成されることとなりました。BPHIの活動は私が働きたい分野での知識が増えるだけでなく、実際の経験も積めるため、学業と同じくらいのエネルギーを注いでいます。卒業を控えた来学期も同じくらいの情熱をもって取り組みたいと思います。

2018年春

山崎 萌生

米国 ベロイト大学

 

4年後期の留学状況について報告させていただきます。後期は学士論文と毎日の陸上の練習・毎週末の試合で休む暇は殆どありませんでしたので、友人とのゆっくり楽しく過ごす週末などもありませんでした。そんな中でもキャプテンを務めた陸上と、先学期同様に力を入れて活動したBPHI (Beloit Public Health Initiative)について報告します。

中学1年生の頃に始め、高校で終わりにするつもりだった陸上競技でしたが、その魅力が忘れられず大学でも続けることにしました。陸上はアメリカでは春に行うスポーツなので、4年間を通して後期は毎日の練習に加え、毎週末の遠征にとても忙しかったです。陸上を通して学年の枠を超えた友人も沢山でき、健康に気を使うようにしたり、忍耐を養ったりすることができましたが、その分大変な思いすることもありました。プロの陸上選手になるわけでも、大した結果を残しているわけでもないのに、毎日数時間・毎週土曜日を勉強に当てたり、友人と遠出したりできるのに何をしているのだろうと葛藤したこともありました。

しかし、今年はキャプテンという重大な役目を任されたことで、今までやってきたことが無駄ではなかったと思えました。留学生である、英語が第二言語であるということを多少負い目に感じていたので、キャプテンに選出されたときはチームメイト達から認められた気がして、素直に嬉しかったのを覚えています。また、今年は春休み期間中に陸上部でフロリダまで合宿に行ったのも良い思い出になりました。10年間も続けた陸上の無い生活に慣れるのには時間が掛かりそうですが、何かしらの形でこれからも陸上に関わりたいです。

 

BPHIでは先学期調査した、ベロイトコミュニティーにおけるSTI (性感染症)の感染率の結果を基にコミュニティアウトリーチというグループが結成され、私はこのグループの所属となりました。学期を通して、どのようにアプローチをすれば感染率を下げることができるのか企画・実行をするグループでした。ワークショップを行う、人が沢山集まる場所でパンフレットを配るなどの案が出ましたが、最終的にはBar Crawlという案が採択されました。

Bar Crawl では、21歳以上の飲酒ができる年齢のメンバーがベロイトの中心街にあるバーを回って、STIの感染を予防する方法や、検査・治療が無料で行える保健施設を載せたパンフレット、感染を防ぐ避妊具を数個入れたキットを配布するという活動を行いました。企画が採択されてから実際にバーに行く前に電話をして交渉したり、キットを作成する準備など数ヶ月の準備期間を要しました。最初のバーは、学生も行きつけの場所だったので緊張感もなく人々に話しかけることができましたが、他の幾つかのバーではあまりウェルカムされているように感じませんでした。

しかし、色々な人に話しかけることによって、人々がどれほどベロイトコミュニティにおけるSTIの現状を知らないのか、どれほど性教育に関して知識がないのか、遅れているのかなどを学ぶ事ができ、コミュニティの人々だけでなくBPHIにとってもプラスとなる結果になったと思います。今回の企画が専攻したことで、来年度からも学期毎に一回は行うことになりました。これからもこのようにBPHIがコミュニティに出て、ベロイトの人々が健康になる手助けができたら良いです。

福元 美玲

豪州 クイーンズランド大学   

 

四年次に進学する際に、一年間携わる研究の課題と担当の教授を決める必要がありますが、私は希望していた研究をすぐに始めることができず、興味がない分野を一年間研究するよりは、卒業時期を遅らしてでも自分がしたい研究を行いたかったので、一学期間休学をすることを決めました。

その一学期間はクイーンズランド州に残って、三年次から携わっていたインターンシップを続け、後の研究をする際に必要不可欠な実践的なスキルを身に着けることに専念しました。勤務先は州立のリサーチセンターで、IT部門では私と同じクイーンズランド大学の学生がインターンシップを行っています。年齢はばらばらで1年生から5年生、卒業生までいます。彼らとは様々なプロジェクトの運営に携わる過程で、仕事上の付き合いだけではなく、大学の宿題の助け合いや、週末にキャンプなどに行くなど、大切な友達になりました。

 

オーストラリアは自然が豊富な国で、特にクイーンズランド州は都会と自然のバランスがとれた美しい場所です。よく、こちらの家族が週末にキャンプに出掛けるということを聞いていましたが、学生の間でも、大人になっても週末キャンプに出掛けることは彼らの日常の一つのようです。

ある友人は毎週末キャンプに出掛けると言っていました。こちらのキャンプ場は州が運営しており、一人日本円で500円で借りることができます。私がキャンプに行くときは大体6人の友人と車を2台出して、金曜日の仕事終わりにキャンプ場に向かい、そこで2日間か3日間自然の中でゆっくりリラックスします。携わっているプロジェクトによって仕事が終わる時間が違うので、たまに別々にキャンプ場へ行くことになることもあります。キャンプ場ではインターネットも電子機器もなく、ハイキングに行ったり、海で泳いだり、夜は焚火で皆で暖まりながらバーベキューをして楽しみます。オーストラリアは珍しい動物がたくさんいて、運転中はカンガルーにぶつからないように注意をしなければいけないし、夜はコアラが落ちてこないところにテントを立てます。あと、蛇や変な虫が出るので、ハイキングはきちんと長袖長ズボンで完全防備します。昼は七面鳥が常に周りにいて、夜はオポッサムという大きいリスのような動物とが大量にでてきます。一度、夜にテントに戻った時になかからディンゴが出てきてびっくりしました。インターンシップの仲間とは誕生日を祝ったり、オーストラリアデーという国民記念日を一緒に過ごしたり、誰かが新居に引っ越せば引っ越し祝いをします。本当にかけがえのない友達をつくることができました。

 インターンシップ後は、その勤務先に残って仕事を続ける人もいれば、シドニーやメルボルンのような都会に引っ越す人もいます。日本やアメリカで働く予定の人もいます。このように、みんなそれぞれの目標があって、だけど今は共通の目標であるプロジェクトの成功に向かってお互い助け合っていて、私が復学した今は、大学でも課題や研究でつまずいたときに頼れる仲間がいて、私に留学の機会を与えてくれたすべての方に感謝しています。

キャンプ場での友人との集合写真

キャンプ場で友人と

永本 ひかる

ハンガリー ペーチ大学

 

今学期はヨーロッパ内を旅行する機会に恵まれた学期でした。

後期が始まる直前にスペインへ、学期中の1週間程度の春休みを利用してフランスとスイスへ旅に出かけました。

長年ヨーロッパに住んでいると、どこの国へ行っても どこか同じような雰囲気と、EU圏内であればパスポートコントロールもさほど厳しくなく旅行した気になれないのですが、やはり西欧と東欧では日の入り方や人々の愛想の良さ、食べ物やファッションなどとても変化があり個人的には面白い旅になりました。

スペインはアートの旅にしようと色々な美術館や建物、資料館に足を運んだのですが、美術や歴史に疎い私でも興味深いものがたくさんありました。アートの中の曲線や色使いなど、素人にはあまり理解できないものも多かったですが、それでも目を惹かれるものがありました。3日間の短い旅でしたが新学期が始まる前のいいリフレッシュになったかと思います。

スイスの旅は、友人の叔母様のアトリエに滞在させていただき、首都ベルンの歴史などを色々と教えていただきました。同じヨーロッパでも特にスイスは国のルールや政治経済は全くの別物でした。スイスではドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つの言語が公用言語で、その4つの言語を使う背景にはさまざまな歴史的背景が入り組んでいるそうですが、日本語と英語を使いこなすのがやっと、といった状態である私には信じられませんでした。スイスだけではありませんが、ヨーロッパは陸続きなこともあり、自国の言語と英語以外にも他の言語を話せる人が多いそうです。トリリンガル程度ではそんなに驚かれない、という話にびっくりしてしまいました。将来は永久的でなくともヨーロッパの医療に携わりたいと思っているなら、英語以外にも話せる言語を作った方がいい、とアドバイスされ、医療にも深く関わりのあるドイツ語を始めてみようかと検討しています。

大学生活の方では発生学を一から学び直したのですが、胎児が生まれてくるまでの道のりは思っていたよりずっと長く複雑なものでした。

最初は小さな小さな細胞から、内臓や血管、神経や骨を創り出していく過程には感動すらおぼえました。

過程が長く、複雑である分、覚えなければならない、理解しなければならない項目はとても多かったですが、テストに出るから大事、というよりも長い長い物語を読んでいるような気持ちでした。発生学はまだ全てが明らかになっているわけではないので、諸説ある項目も多々あります。この教科書にはこう書いてあるけど、こっちの教科書には違うことが書いてある、といったこともあり 勉強する上では戸惑いも多かったです。

こんなに医療の発達した現代でも解明されていないことが多くあり、お産は奇跡なんだよと昔祖母が言っていた言葉を思い出しました。

胎児が成長していく過程で様々な物質が分泌されては、血管が出来たり、出来たかと思えばなぜか消えてしまったり、分泌されるホルモンなどが多くても少なくてもいけなかったり、と一体あの小さい体のどこでそれをコントロールしているのか不思議でした。人はそれぞれ顔や身体の外的要素も違いますが、内臓の大きさや働き具合など目に見えない部分にも多く違いがあります。それには胎児のときの成長も大きく関係しており、生命の神秘とは奥深いなと考えさせられました。

発生学は最初から苦手意識が強かったので、受精卵から胎児になるまで全ての過程を自分でノートを作りながら勉強したのですが、胎児が生まれてくる頃にはノートにとても愛着が湧き、テストが終わったあともたまに見返すほどです。月並みな言葉にはなってしまいますが、私が生まれて健康に暮らせていることはとてもすごいことなんだ!と思ってしまいます。

医学部の科目は多い上に内容も重いものが多いので、ついテストに受かるための勉強に逃げがちですが、やはり深く勉強しようという気にもなりましたし、今世界中で医師として働いている先輩方はこの膨大な知識を以って医療に携わっているのかと思うと、自分はそうなれるのか不安になる反面、いつか現場で私も活躍したいというモチベーションにもなりました。

2018年秋

福元 美玲

豪州 クイーンズランド大学

 

 現在、卒業研究を終え、論文を無事に書き上げることができてほっとしています。論文を発表した直後に、担当教授から別の新しい研究プロジェクトについての情報を聞き、夏休みからそのプロジェクトに携わることになりました。研究を終えて一息するつもりが、続けて別の研究を始めることになり、忙しい、少し夏休みらしくない夏休みを過ごしました。夏休み後、あと一学期間この研究に携わる予定です。

主に研究をしているときは、講義などがなく、時間に融通が利くので、自分のやりたいことに時間を費やすことができます。

 前にも話しましたが、オーストラリアでは4年生に進学するかどうかは学生次第で、卒業論文を書かなくても学士習得できます。私は日本の教育制度に慣れていたので、最初はこのようなシステムに少し疑問を持っていましたが、今となってはオーストラリアの大学生にとっては利点であると思います。

 実際、約二年間プログラマーとして働いてみて、卒業研究や論文を書くスキルは仕事場などで使う実践的な力とは別ものだと感じています。もちろん、卒業後に研究に携わる場合や、医学、工学に進む場合は4年生に進学する必要性がありますが、ソフトウェアエンジニアとしてIT業界で活躍するうえで、必ずしも必要ではないと思います。

 卒業研究が選択制である利点は、三年後、大学を卒業した学生たちはいったん就職して実務経験を得て、もし研究職に就きたいと思うなら、大学へ戻り4年生をすることができるという点です。大半の学生は在学中に一年ほどの実務経験を積む必要があります。なぜなら、オーストラリアでは企業が新卒を好むという風習がないからです。在学中に働いて、もし研究職に就きたいと感じた学生は、3年後いったん卒業してそのまますぐに4年生に進学したいと希望することもできます。学士の4年目はオーナーズと呼ばれていて、修士学位と同等で扱われています。例えば、将来博士を習得したい場合、四年生を終えていれば、直接博士課程に進むことができます。四年生を終えていなければ、修士学位を習得しなければいけませんが、修士学位は一年半から二年間と、オーナーズより長いです。卒業後博士課程に進むとはっきりしている学生にとってはオーナーズは魅力的です。

 大学生活ですが、四年生になると、個人の研究をすることが多くなりますので、講義などに参加することが少なくなります。実際私は今学期、教授との面談の時間以外には大学に行く必要がありませんでした。ITの分野だからだと思いますが、パソコンがあれば、研究は職場や自分の部屋で行えるのです。場所と時間を選べる、融通が利くという特徴があるソフトウェアエンジニアという職業をとても気に入っています。もちろんクライアントとのミーティング、チームとのコミュニケーションの際には、現場に向かう必要が出てきますが、それはそれで気分転換でいいと感じています。これからもIT業界で活躍していきたいということは自分の中ではっきりしています。大学で研究をする機会がたくさんあったので、研究にも興味があり、ITの研究という分野がどんなものか、これから少しずつ解明していけたらいいなと思っています。

 

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